木のさかずき
    
左のイラストは、第13回国際マンガサミット鳥取大会イメージキャラクター「マミット」
漫画家 里中満智子氏 画
 
 お祝いの席には、鏡割りが欠かせません。
 なんといっても華やかさと艶やかさがあって、酒好きのおやじたちから“やんややんや”の大声援と拍手喝采をいただくのが恒例です。
 酒樽は、もちろん一斗樽がいいです。しかしよほどの宴席でもないかぎり、18リットルもの酒が簡単になくなるはずはありません。最近は、上げ底の一斗樽もあると聞いています。

 そして鏡開きに欠かせないのが、升です。
 升の片隅に一つまみの塩を盛って、升に口を持っていきながら飲む姿は、酒好きおやじの定番イメージのようにも思えます。もっともそんな飲み方をする人も見かけなくなりましたが。

 残念ながらやぶちゃんは、お酒はまったく駄目です。
 宴席は好きです。お茶やジュースで酔っぱらっているかのごとく楽しんでいます。やぶちゃんの隣で酒を飲んでいる私は、酒が飲めないのにお付き合いをしてくれることをたいへん気の毒に思うわけですが、やぶちゃんはそんなことはまったく気にしていない様子で、いつもはしゃいでいます。
 もっと気の毒なのは、我々よっぱらいおやじどもの運転手をしてくれることです。
 まあ、よっぱらいの中で酒を飲まずにいるわけですから、「そりゃあ仕方ない」とよっぱらいは思うのですが、それにしても申し訳ないことです。

 酒には縁の薄いやぶちゃんに、宴席の必需品の注文が来ました。
 県内の大きなイベントの懇親会の席で鏡開きをするから、その時使う一合升をつくってほしいとの話です。
 その話を聞いて、
 私 「そりゃあ良い仕事ですなぁ がんばって!」
 やぶちゃん 「やだ」
 私 「??」
 やぶちゃん 「1個1,000円でもやだ」

 無責任な私の応援に、やぶちゃんはブスッとしてつぶやきました。
 その理由というのは次のようなものでした。
 まず、やぶちゃんたち木工職人の世界では、一つの升を手作業でつくるのには相当の手間がかかるということです。更に、升をつくる板をかみ合わせるための道具がない、数量が多すぎる、予算が合わないなどと次々と難問が重なっているのだそうです。
 依頼者は、県産材を使った一合升でお客さんをもてなしたいと考えていたそうです。
 依頼者の気持ちがよく分かるやぶちゃんは、本気で、なんとかならないものかと考えました。

 
作業工程順に並べて

 やぶちゃんの疑問、その1です。
 「乾杯をするためだけに一合升が必要なのだろうか」
 これは、酒飲みおやじとしては当然の話です。でも、酒飲みでないやぶちゃんには大きな疑問だったようです。乾杯の後はビールだったり焼酎だったりするわけですので、「それならば皆が自分の好きな酒を持って乾杯すればよいでしょう」と真剣な顔をして疑問を投げかけます。しかし、やはり酒飲みおやじの私としては却下でしょう。

 疑問、その2です。
 「一合升といえば、けっこうな量。本当に皆が一合酒をぐっと飲むのだろうか」
 酒飲みおやじからすれば、ぐっといってもあたりまえの話です。しかし、酒飲みでないやぶちゃんにとっては、大きな疑問です。確かに多くの人は少し口をつけるだけで、宴会の後には、テーブルに置かれたままの一合升をみることも多々あります。さすがにお酒を飲まない木工屋からみれば、酒も一合升ももったいないと感じることでしょう。

 疑問その3は、木工屋としての疑問です。
 「注文数は500個。短期間でつくるのは当然無理。材料も確保できるかどうかわからない」
 数をこなすためには、やぶちゃん一人では太刀打ちできません。例え仲間を集めるにしても、一合升つくりでは到底人は集まらないと考えました。

 いろいろと考えたあげく、一つの結論に達しました。
 一合升は、やっぱり駄目。そのかわり“さかずき”はどうだろうと。
 いくつかのサンプル品をつくり、改めて依頼者に提案しました。
 鏡割りとくれば、升酒が定番です。それをさかずきに代えるという発想は、酒飲みには思いつかないでしょう。やぶちゃんの提案を聞いた依頼者も、初めはびっくりしたようです。しかし県産材という最低限の条件は満たしていますし、記念品としても遜色はありません。サンプル品をながめながら、酒を飲まないやぶちゃんの疑問や課題を聞く内に、おもしろいと考え始めてくれたようで、ついにやぶちゃんの提案に乗ってくれました。
 なお、一合升で酒を飲む人間を「酒飲み」とはいいません。「大酒飲み」といいます。
 よくよく考えれば、一合升にこだわる人は少ないのではないか、というのが結論でした。


最初の作業工程の丸切りは、ターンテーブルで

 やぶちゃんのサンプルを元に依頼者がデザインを考えている間、やぶちゃんは超特急で下準備を始めました。
 まずは、仲間集めです。誰もが、依頼者が希望するような短時間に大量の木のさかずきをつくることなんてできるはずはないと思っていました。大量生産があたりまえの時代に、これは不思議だと考える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、長年手作りの木工をやってきた職人たちが同じ作品をつくるのは、せいぜい数個止まりです。何百個という手作り作品なんてつくったことがありません。

 次なる課題は、材料の調達です。
 さかずきの材料は、通常、ひのき(檜)です。杉でつくる場合、肉厚にしなければすぐに壊れてしまいますが、肉厚のさかずきは似合いません。また、酒を入れるわけですので水にもある程度強くなければなりません。杉は檜と違って、変形したり割れたりすることが多いのです。

 材料の檜を集めることは、皆、無理だと思っていました。
 もちろん檜はちゃんと市場には流通していますので、それを買えば済むことです。しかし、それでは材料費が高くついてしまいます。
 彼らがつくる木工製品の材料は、家の柱をつくるわけではありませんから、柱などをつくった際に出てくるゴミとなる木(端材)で十分なのです。端材といってもタダではありません。端材程度の材料費でなければ、とても儲け代を捻出することができないのがこの世界なのです。

 仲間から無理だ駄目だの声をたくさん聞きましたが、やぶちゃんは、絶対どこかにあるはずだと信じていました。
 「よし、木工工場を回るぞ」
 気乗りしない仲間を連れて、県内の木工工場を片っ端から回ることを決めました。
 木工工場では、丸太を加工した際には必ず端材が出ます。しかし「檜の端材がほしい」とお願いしても、紹介されるのは長い丸太だということも想定していました。工場の人たちも、檜の端材をたくさん集めている人間がいるなんてことは考えてもいないでしょう。ストーブの薪にすると説明した方が早かったかもしれませんが、それでは完全なゴミばかり提供されることになります。
 端材でさかずきをつくるということを、きちんとお話する必要があると考えていました。

 話を聞いた工場の人たちは、当然びっくりです。びっくりというのは、「そんなのができるわけがない」という意味です。しかし、やぶちゃんの熱意を感じとってくれました。
 「それならばこれでどうだ」
 工場の片隅に2mほどの檜の端材が積まれていました。それでもう十分でした。
 なかなか入手困難と想定して県内を探して回ろうと腹を決めていたのですが、なんと最初に訪れた工場で材料を得ることができました。これにはやぶちゃんも、一緒に行った仲間もびっくりだったのです。


ならい旋盤で、さかずきの裏面を整形中

 もう一つの課題は、簡単に片づきました。
 同じ形の木工品をいくつもつくるには、「ならい旋盤」という機械が必要です。型板や模型にならって、刃物台が自動的に切込んで行く機械で、さかずきの輪郭や丸みを削り出すには必需品です。この機械は、知り合いの工場にありました。
 ちなみに、ならい旋盤(倣い旋盤)を英語では Copying lathe といいます。「ならい削り」を Copying というそうですので、機械の形はわからなくても、どんな作業をするのか理解できます。
 また、同じ形をつくり出すための治具もつくりました。治具づくりは、3人で丸一日かかりましたが、ここまで来ると先が見えたようなものです。皆、楽しみながら作業を進めました。

 最後に残った課題は、値段の設定と利益の配分です。
 何でもそうですが、いかに短時間でたくさんの作品をつくるかということを追求することが商品の値段を下げるコツです。一番いい方法は、材料調達から加工からすべて海外にお任せすることですが、手作り木工職人たちには縁のない話です。
 そこでやぶちゃんは考えました。
 まず依頼者が納得する値段を考え、総収入を決めます。そこから材料費や必要経費を引き去ります。残った分が利益となりますので、これを皆で分けるわけですが、分け方を時間給としました。「時間給=利益÷仕事にかかった総時間」です。皆で早く仕上げれば時間給は高くなりますし、長引けば下がるというルールにしたのです。

 なにしろ一匹狼たちの集まりです。皆がきちんと理解し、納得してもらうことが、この仕事が成功するかどうかのポイントでした。
 職人たちが一度につくる木工品はせいぜい10個までです。それ以上は、いくら注文が入っても断ってしまうのがこの世界です(日本中がそうなのかは知りません)。値段は、自分で付けます。売れる値段、損をしない値段の付け方は知っていますが、あくまでも自分の世界で決めることですので、他人のご都合まで考えることはありません。(但し、この世界の仁義は守ります。木工の師匠が付けた値段や、他の職人さんの作品の値段を陥れるような下手な値段は付けません。)

 皆あっさりと了解してくれました。全員がやる気満々の顔になってきたのです。「無理だ、駄目だ」から始まった作業は、なんとか無事に片づけることができました。
 やぶちゃんの世界の古い伝統がひっくり返った出来事といっていいのかも知れません。
 
 さて彼らの時間給は、いくらになったのでしょう。
 当初500個の計画でしたが、中国との関係悪化がこんな世界にも影響を及ぼしました。中国からのお客さんが少なくなって、注文が400個に減りました。その分、早くは終わったのですが、時間給も少なくなったのは確かなようです。

 この木のさかずきは、今年鳥取県で開催された第13回国際マンガサミット鳥取大会で配られました。鳥取県の大イベントに参加できたこともうれしかったのですが、何よりもこの仕事のおかげで、やぶちゃんをはじめ、参加した仲間がまた一つ成長したのも、大切な財産となったのです。


 おやじのつぶやき 2012.11

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