こだわりの靴べら


 梨の木のおもしろさを知ったことがきっかけで木工屋の道に踏み込んでしまったやぶちゃんでしたが、当然のことながら、梨の木に限らず様々な種類の木に興味を持ちました。もちろん木工品に使った木の種類もかなりの数になりました。
 これまで知らなかった木に出会うたびに、ますます「木」の魅力に引き込まれていきました。
 例えば、黒柿の木です。黒柿は茶道具などに使われる木ですが、なかなか手に入れることができない貴重な木です。白い木地に黒い絵の具が流れたような独特の模様は、日本文化をイメージするのにぴったりな材料です。
 シュロの木は、薄い板に加工すると竹と間違えるほどよく似ています。お寺などの鐘突き棒に使われているそうです。とても堅い木ですので、あの「ゴーン」というなんとも深い音色を生み出す仕組みがわかるような気がします。
 柞(イス)という木はたいへん密度が高くて堅い木です。木材の密度は均質ではなく、部位によっても異なるそうですが、水に沈んでしまうものもあるほどの最も重い木材の一つです。堅すぎて、削るのは一苦労です。でも、削り上がった作品に現れる緻密な模様は、ほんとうに見事なものです。

 勉強嫌いのやぶちゃんも、一生懸命木の種類を覚えました。とはいってもやぶちゃんの場合、子どもが大好きな仮面ライダーやウルトラマンの種類を覚えるのと同じようなものですから、勉強といえるかどうかは甚だ疑問です。そんなやぶちゃんも、時々、木工品に使った木が何の木だったのか分からなくなることがあるそうです。

 そこで考えたのが、木工品に「木の名前」を書いておくという方法でした。つくった木工品のそれぞれに名前をつけるのではなく、木片のカタログをつくって、そこに名前をつけておくというものです。
 単なる木片のカタログでは面白くありませんので、「靴べら」をカタログにしようと考えました。それも同じ大きさ、形の「靴べら」と決めました。4〜5年くらい前からはじめ、現在では約50種類の靴べらのカタログをつくりました。

 この「同じ形の木工品に『木の名前』をつける」というアイデアには、ヒントがありました。愛知県一宮市に住む将棋愛好家の神田和徳さんは、世界中の樹木を材料に32年間で810種類の将棋の駒をつくられたとのことです。神田さんの場合、材料は木だけではありませんし、形もたいへんユニークな駒をつくっておられます。テレビでこの話を知り、「これだ!」とひらめいたわけです。(参考資料 一宮市ホームページより)

 しかし、わざわざ違う種類の木材を買い求めてまでつくろうとは考えませんでした。
 使う木材も10cmほどの切れっ端でよいわけですので、工房仲間に声をかけたり、造園の仕事をしている息子さんにお願いをしたりして集めました。奥さんも時々、「こんなのどお?」とどこからか調達してくれるそうです。
 たまたま散歩をしていてよそ様の家の庭に気に入った木を見つけ、枝を下さいとおねだりをしたこともあったそうです。その枝で靴べらを2セットつくり、一つを持ち主に差し上げてたいへん喜ばれたそうです。


 さて、私がこの話を聞いた時、頭に浮かんだ疑問は「何故、靴べらだったのか?」ということでした。やぶちゃんの返答は、「特に意味はない」とのことでした。もともと梨の木でいろいろ形な靴べらをつくっていましたので、その作業の延長みたいなものと考えていたようです。あえて説明するのであれば、「小さなもので、実用的で、誰もが使えるものであればじゃまにはならないから」ということでした。
 「じゃあ、スプーンではダメだったの?」と嫌味っぽく聞くと、「それでもよかったかもね。でも自分は靴べらだったんだから・・・」と。
 はい、大きなお世話でした。

 やぶちゃんの話を聞きながら、そんなものかなと納得しようとしましたが、どうも腑に落ちません。確かに靴べらは小さくて実用品なのですが、私はあまり使うことがありません。専らスニーカー派です。形はおもしろいのですが、わざわざ飾りとして玄関に置くというのもどうかなと思うのです。
 私が書いた駄本「発明は笑える!」の中で、とっとりのエジソンこと清水谷おやじがつくった靴べらを紹介しました。清水谷おやじが発明した靴べらは、「メッセージ付き靴べら」というものでした。靴べらに「気をつけていってらっしゃい」とか「今夜はごちそうですよ」といったメッセージを付けることができる夫婦円満グッズです。もちろん「この野郎!」とか「もう帰ってくるな」と書けば離婚促進グッズとなります。こういった靴べらは別として、普通、靴べらというものはあまり気にはならない道具ですので、何故そんな靴べらをテーマを選んだか疑問でした。

 しかし何度か話を聞く中で、やぶちゃんが靴べらにこだわった理由を理解することができました。それは、靴べらをつくる作業の中にあったのです。

 

 靴べらは、まず材料の木を薄く切って板状にし、その後糸のこで切って靴べらの形をつくり、木工ろくろで形を整えます。この木工ろくろ作業で問題となるのが、靴べらの「へこみ」です。
 木工ろくろの回転部分に円柱の木をとりつけ、その木にサンドペーパーを貼り付け、靴べらの微妙な「へこみ」を付けながら磨き上げていきます。この「へこみ」のカーブを「アール」と言います。アールは「Radius(半径、r)」から派生した建築用語で、角を取り円弧状に加工する際の設計表記に用いられます。
 靴べらの持ち手と足のかかとが当たる部分の最適なアールをつくるため、木工ろくろの回転部分につける木の円柱の工夫からはじまりました。更に、この木の円柱にサンドペーパーを貼り付けるわけですが、高速で回転しますので、上手く貼り付けないと遠心力ではがれてしまいます。

 このような道具を「治具」といいます。
 職人さんが自分にあった作業をするために、よく自分で治具づくりをすることがあります。言い換えれば、職人さんの見事な仕事は、この治具の善し悪しによるところが大きいといっても過言ではありません。
 やぶちゃんは、最初は木の円柱に布を巻きつけて、その上にサンドペーパーを巻いてみました。しかしなかなか思ったようなアールはつくれません。サンドペーパーが直ぐにはがれてしまいます。布の代わりに皮を使ってみたり円柱の丸みを変えてみたりと、試行錯誤を繰り返しながらようやくたどり着いたのが現在使っている治具です。

 やぶちゃんの思いどおりのアールをつけることができる治具の開発に、約半年かかりました。
 最後は、もうやけくそだったようです。いろいろな工夫をしてみても、思いどおりの靴べらはできませんでした。あきらめかけていた頃、ホームセンターでふと目に入ったのが家具と床の間に敷く緩衝材でした。材質は、ゴムに似た堅めのスポンジのようなもので、厚さは5mm。これにサンドペーパーを巻き付けることで、ようやく満足できるやぶちゃん流の治具が完成したのです。

 それまでの治具でつくった靴べらのアールとどれだけ違うのかと問われれば、まあ、そんなに気になるほどの違いではないと思います。しかし、こだわってしまう訳です。画家が自分の納得いくまでキャンパスに絵の具を落としていくような作業です。見る人にはその差はわからないものの、職人や画家が、自分の満足する作品を形として残す一連の作業と同じだったのです。

  
   靴べら製作用の治具           木工ろくろに取り付けた治具

 こだわりは、もう一つありました。
 これをこだわりと言っていいのかどうかわかりませんが、靴べらをつくる作業の中で木の特性を勉強することができるということです。
 木工ろくろに取り付けた治具に板状の材料をあてて削るのですが、堅い木はたいへん削りにくく、普通の堅さの木より3〜4倍のペーパーが必要となるものもあります。逆に、柔らかい木は直ぐにへこんでピラピラになってしまい、実用的ではありません。従って、少し厚みのある靴べらをつくることとなります。例えば、白樺や桐の木がそうです。
 更には、削っていく途中でそれぞれの木の独特な匂いや木の繊維の美しさを理解することができます。
 これは他の木工品をつくる時にたいへん参考になります。残念ながら木の匂いはそのうち消えてしまいますが、いくつかの種類の木を使ってつくる木工品には、この木の色や繊維の知識は欠かすことができません。

 また、細かい木工作業の際の技術力の向上にも繋がります。木を切ったり削ったりする場合、木の種類によって「手応え」がまったく異なるからです。
 鳥取大学名誉教授の作野友康先生からも、同じような話を聞きました。
 ある日先生が切断機で木を切っていた時、なにげなく材料を変えて回転する切断機の歯にあてたそうです。ところがそれまで切っていた木の堅さと違う、たいへん堅い木だったのです。なにげなく手に持った堅い木を、それまで切っていた柔らかい木と同じ持ち方で切断機の歯にあててしまいました。その結果回転する歯に木が弾かれて先生の体にあたってしまい、先生はその場で気を失って倒れてしまったそうです。幸い直ぐに気がついて良かったのですが、気がついたら目の前で切断機の歯が回転していたという、まさに危機一髪の事態だったということです。

 木工屋やぶちゃんにとって靴べらづくりは、職人魂の治具つくりであり、大切な木の勉強であり、そして技術力アップとなる材料であったわけです。
 やぶちゃんは、この靴べらづくりに特段のこだわりを持っているわけではないと言い切ります。確かに靴べらづくりは「ついで」の作業であって、多少の売り物をつくる時以外はわざわざ身構えてつくることもありません。工房に無造作に並べている靴べらも、訪問者に見てもらうことはほとんどありません。これまで工房に来ていただいた人で、この靴べらに気がついたのは鳥取環境大学でデザインを教えている遠藤由美子先生だけでした。

 様々な種類の木で同じ形の靴べらをつくり、比べて眺めることで、更に木が持っているすばらしさ、おもしろさに気づくことがあるそうです。そんな靴べらですので、こだわりがないと主張してみても、どうやらこれはやぶちゃんの立派な“こだわりコレクション”になってしまったようです。

 
工房内の木工ろくろと治具

 もう一つ、エピソードを紹介します。
 最初に紹介しました、木工作品に「木の名前」を書くという話です。
 やぶちゃん靴べらには、木の名前がつけてあります。「杉」とか「松」とかいった名前です。
 やぶちゃんのことですから、あのへたくそな字で、無造作にマジックでちゃちゃっと書いてしまうと思っていたのですが、なんと、やぶちゃんの靴べらにはレーザーで彫った名前がついていました。やぶちゃんの友人「オフィスたなか」さんは、レーザーの彫りものをつくっています。彼にお願いをして靴べらに名前を彫ってもらっていたのです。
 やぶちゃんは、なぜかここだけは自分で「こだわり」だと主張しています。靴べらづくりのきっかけが将棋愛好家神田和徳さんの将棋の駒づくりだったわけですので、少しは対抗したかったのかも知れませんね。

 「もっと、いろんな人にこの靴べらの話をすればいいのに」
 「そうだなぁ、そういえばあえて自分から靴べらの話はしたことはなかったなぁ」
 「じゃあ、展示会でもしてみたら?」
 「100種類くらい溜まったら考えてもいいかなぁ」

 現在約50種類。まだ10種類ほど未加工の木があるということらしいので、合計60種類。ここ最近の作製ペースは、ぐっと落ちて年間数個とのこと。
 どうやら、残り40種類の作製にはどうみても後10年くらいはかかりそうですので、まあ、ゆっくりと待つことにしましょう。


やぶちゃんの仕事場に飾られた「こだわりの靴べら」


おやじのつぶやき 2012.6

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