「環境問題」の本質?

イラスト ののはら りこ

 人が集団で行動すれば、自然界へ何らかの影響を及ぼす。この影響が人間にとって「害」となり、社会が「害」を認識することによって「環境問題」が成立するそうである。「あたりまえじゃないか」と言いたくなるが、そう簡単ではないらしい。

 日本の公害問題の代表ともいえる水俣病は、被害が発生してから社会が認識するまで約20年もの年月を要した。今年3月に被告、原告の双方が和解に向けて基本合意をしたが、補償問題も含めると約70年の歴史を刻んでしまった。

 社会が環境問題を認識し解決するためには、科学の力が必要である。その科学の力とて一朝一夕には解決できない。併せて、環境保全対策や修復措置のためのルールも必要であり、そのルールをつくって動かすのも多くの時間と手間を要するらしい。科学にもルールにも弱いおやじは、なるべく自分の身に災いが降りかからないよう願ってしまう。

 話は変わるが、神奈川県の受動喫煙防止条例には「ごもっとも」と感心させられた。しかし、私は愛煙家であり、もし鳥取県にこの条例ができたらきっと「私だけは見逃してください」と祈るに違いない。

 いくら科学が健康被害を証明しても、また良いルールをつくっても、健康に対する価値観を修正し、その価値観と現実とを合致させる行動をしなければ、根本的な解決を導くことはない。結局おやじは、こそこそ隠れて煙草を吸うだろう。これは、地球温暖化をはじめとする今日の環境問題の本質と似ているのかもしれない。
 
日本海新聞 ECO STYLE Tottori 2010.4.17掲載

<目次へ>