政治にはとんと無関心なおやじではあるが、さすがに世の中の大きな変革には戸惑ってしまう。もともと面倒な話や難解な思考は受け付けない体質であるし、年を重ねるに連れて脳のしわのアイロンかけも進んでいる。
世の中 「なんとか手当が支給されるようになり、子育てが楽になりそうだぞ。」
おやじ 「おぉ、そりゃすごい。」
世の中 「でも、税金もふえそうだ。」
おやじ 「・・・・・・。」
世の中 「大きな公共工事を中止して税金の無駄使いをやめるそうだ。」
おやじ 「わぁ、そりゃいいことだ。」
世の中 「でも、地元は困っているらしい。」
おやじ 「・・・・・・。」
単純脳構造のおやじにとって、「利」と「害」のバランスを考えながら解決策を模索する政治家や官僚たちの能力は、本当にうらやましい。生みだされる結論は、きっと「利」と「害」のバランスが最大限に考慮され、最良の益をもたらすものであろうと推察するのであるが、その結論を受け止めるおやじは、なんやらあやしい。どんなにバランスのある結論も、受け止めるおやじの天秤がアンバランスだと、天秤はゆれっぱなしなのだから。
おやじと違って、幼い子どもたちは明解である。嬉しい時には笑い、悲しい時には泣き、おなかがすいたらごはんを求め、満腹したら遊びに出る。子どもたちの基本行動の中では、常に「利」と「害」のバランスを上手く保ち、成長という目的に向かっている。いつしかこのバランスが崩れ、悲しい事件に繋がってしまうということは、どこかでアンバランスを誘う力が加わってしまうのであろう。なにもできないおやじたちは、自分のアンバランスは棚に上げて、ただ今の世を嘆くだけである。
世界には、災害や飢饉、紛争などで苦しんでいる子どもたちがたくさんいると聞く。
あいかわらずの能天気おやじに、ある日、某NPOから海外の子どもたちへの支援協力依頼が届いた。貧しい子どもたちのスポンサーになり、毎月少額ではあるが支援金を送るシステムである。まったくの気まぐれで参加してしまい、小遣いカットを悔いていたおやじであったが、子どもから届いたお礼の絵に思わず涙ぐんでしまった。
おやじのアンバランスのわずかな補正である。
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