平成が終わりに近づくと、「平成最後の」で飾られるニュースが多くなった。最後という言葉は何処となくもの悲しさが漂っているものの、この度の最後には、新しい時代に向かう力が込められているように聞こえる。
昭和の中盤に生まれた私は、年号が一つ飛んで次の時代に入ると、そのうち過去の世代の人間に分類される。目まぐるしく変わる世情についていけないもどかしさから、昔を懐かしむばかりの老人になるのも考えものだ。
そういえば明治生まれの俳人中村草田男は、昭和に入って母校の小学校を訪問した時、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだ。幼い頃に通った校舎が真っ白な雪で消えていくのをみて、明治という時代が消えてしまうかのように想ったのだろう。
しかし今年5月は、草田男の時とは違って、春の日差しとやわらかい風の中で「遠く なりにけり」を感じるはずだ。そして「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代」になるよう、心から願いたいと思うのである。
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