「何の因果で貝殻こぎなろた 色は黒なる身はやせる」 イタヤガイ漁の辛さを唄った労作歌貝殻節は、橋津、泊、青谷、浜村、賀露に伝わっていると聞く。その起源は不明だが、不思議な魅力を持つ唄である。
昭和初期の新民謡ブーム時につくられた浜村の貝殻節は、映画夢千代日記で全国的に有名になった。賀露の貝殻節は民謡家浜沢長三郎氏により力強い民謡にアレンジされ、橋津では労作歌特有の素朴な節回しの貝殻節が伝えられている。地域や時代によって、歌詞やお囃子も変化しているようだ。
江戸期以降のイタヤガイ大発生は明治4年。その後小発生を繰り返し、大正13年には明治4年を上回る大発生があった。一方海運業で発展した鳥取の港は、明治以降陸路の整備とともに商用機能が衰え、明治末期に山陰線が開通した後はほとんど衰退した。現在唄われている貝殻節は、港の人々が漁業へ活路を求めたこの時代に形が整ったのかも知れない。
「自分の意に沿わずに漁師になったが、辛い仕事に負けそうだ。しかし私の気持ちを知って笑顔で送り出してくれる母や、帰りを待ってくれる愛しい妻子のためにやめることはできない。この港でずっと苦労を続けている漁師たちのように」 労作歌が愛の唄に聞こえた。
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