科学が大好きなおやじであるが、そうかといって物理や化学が得意なわけではない。受験用の勉強はしたものの、学業が終わると、どちらかといえば物理、化学から逃げていた。そして数十年も経ち、もはや小学校理科さえ分からなくなっている自分に気が付いた。
仕事でやむなく電気の勉強をすることになり、昔習ったことを思い出しながら復習した。しかし、やはり難解である。ある日電流と電圧の変化について頭を抱えていた私は、電気の師匠からアドバイスをいただき、それがヒントになって自分なりに電気の科学を理解することができた。自慢をするわけではないが、その概要について報告する。
まずは、電流と電圧の概念の話である。「電線を6600ボルトの電流が流れている」、「電線を50Aの電流が流れている」という表現が私の単純な思考回路に引っ掛かった。電流とは荷電粒子の移動に伴う電荷の移動であることは、昔勉強をした。電気を水に例えると電圧とは流れる水の高さであり、電流とは流れる水の量であることも理解していたつもりである。
しかし私の単純思考回路の中では、「電線の中を、ボルトとアンペアはどのように流れているの?」という訳のわからない疑問となったのである。
結論は、電線中にはボルトもアンペアも流れていない。「電線を6600ボルトの電流が流れている」のは「電線を電荷が6600Vという圧力で流れている」のであり、「電線を50Aの電流が流れている」というのは「電線を50Aという量の電荷が流れている」のである。
すなわち、ボルトとアンペアは「電荷の流れを評価する単位」だという小学生理科を改めて理解したのである。
次に直流と交流の勉強へと進んだが、「直流と交流は電気の流れ方が違う」という場面で、再び単純思考回路に引っ掛かった。ここで見慣れたグラフを睨んでみた(引用したグラフを参照されたい)。
直流と交流を示すグラフは、X軸が時間、Y軸が電圧。直流は真っ直ぐの線で、交流はプラスとマイナス間をカーブを描いている。
「直流は電線の中を真っ直ぐ流れ、交流はカーブを描きながら流れるのか?」と、相変わらず訳の分からない疑問である。
残念ながらこのグラフは、時間の流れと電圧の変化を示したものである。直流は電荷が電線を一定の方向で流れ、交流の場合は周期的に方向が正負に変わるというものであり、交流は決して電線の中をカーブを描いて流れたりはしない。
「私は、本当にどこまで理解していたんだろう?」
情けない気分で「オームの法則(電圧(V)=電流(I)×抵抗(R)」へと勉強が進むわけであるが、単純思考回路に加え集中力散漫なおやじは、この段階で完全に思考停止となった。
「I(アイ)が0(ゼロ)だったらV(ブイ)も0(ゼロ)で、R(アール)が0(ゼロ)でもV(ブイ)は0(ゼロ)だね・・・ん?」」
「V(ブイ)が一定だったら、I(アイ)が大きいとR(アール)は小さく、逆にR(アール)が大きいとI(アイ)は小さいよね・・・ん?ん?」
ん?ん?がどんどん増えてきた。いちいち説明するほどの話ではないため、以下、一気にまとめを述べる。
まずは、V=I×Rから。
・電圧(V)は、人間でいえば力である。
・人間の力(V)は、愛(I)と人間の抵抗(R:人との摩擦)で決まる。
・人間が持っている力(V)が変わらない場合、愛(I)が大きい人は、人間の抵抗(R)は小さく(人との摩擦が少ない)、人間の抵抗(R)が大きい人(人とよく摩擦を起こす人)の愛(I)は小さい。
続いて、電気の勉強の最終目標であった「電力(W:ワット)=電圧(V:ボルト)×電流(A:アンペア)」のまとめである。
・電力(W)は、人間でいえば度量である。
(注:Wは、量記号(単位はジュール)と単位記号(単位はワット)がある)
・人間の度量(W)は、人間の力(V)と愛(AをIに置き換えて)で決まる。
(注:電流のIは量記号、Aは単位記号)
・人間の度量が変わらない場合、力(V)がどんどん強くなると、愛(I)はどんどんは小さくなる。反対に小さな力(V)の人は、大きな愛(I)を持っている。
以上が、電気について勉強した結論である。念を押すが、間違いなく科学の勉強である(と思う)。
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