台風は憂鬱である。せっかく咲いた花だから、ようやくなった果実だからと、庭の植木鉢やプランターを軒下に退避する。テレビから流れる深刻な被害を心配してみるも、他に何をするわけでもなく、窓から揺れる木々をぼおっと眺め、風の音に耳を傾けて無駄な時間を過ごしてしまう。
我が家は、崖や家屋に囲まれる奥まった敷地に建っている。冬は雪が溜まり、夏は風の通りが悪くて暑苦しい土地である。しかし周りが囲まれていることで台風の影響も少ないと考えれば、心配事も少なくなって気が楽だ。
それにしても、先日の台風の際は静かだった。雨雲の動きを時間ごとに確認できる雨雲ズームレーダーで追ってみると、大雨をもたらす雨雲は、鳥取の平野を避けるように過ぎて行った。まるで中国山脈が、狭い鳥取を守ってくれているようにも見えたのだ。
山陰本線が開通したのは明治45年。それまで阪神地区から鳥取に向かうには、まず山陽線で上郡まで行き、そこから人力車や馬車で深い山道を3日がかりで越えなければならなかった(注)。山々に囲まれ交通が不便だったため、経済も文化もゆっくりと発展した鳥取ではあるが、日本で一番安心して住むことができる地のような気がする。
(注)参考:同志社女子大学史料室講演会記録2(2011年3月)より
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