仕事で、米子駅の近くにある大正7年創業の銭湯「米子湯」を訪ねた。米子湯には30年ほど前に通ったことがあり、仕事よりもなつかしさが先に立つ。一昨年リニューアルされたため当時の面影は残っていないが、街中に映る銭湯の灯りとのれんの風景に心を癒される。
せっかくだからと、久しぶりに銭湯を楽しむことにした。たっぷりのお湯にざぶんと体を浮かべて目を閉じると、冴えない思案などは吹き飛んで、頭の中がからっぽになる。銭湯定番の壁画には、絵本作家長谷川義史氏によるなんともほっとする大山が描かれていた。
「湯を浴びんとて裸形になるは、天地自然の道理、釈迦も孔子も於三も権助も、産うまれたままのすがたにて、惜しい欲しいも西の海、さらりと無欲の形なり(式亭三馬「浮世風呂」より)」
江戸時代の浮世風呂の絵が思い浮かんだ。学生時代に通った銭湯や、淡い恋を唄った「神田川」も思い出した。ぼおっとしたままの流れる時間を、ゆっくりと味わったのである。
銭湯に通っていた頃は毎日こんな時間を持っていたのだなと考えると、ずいぶんと損をした気持ちになる。日常生活に欠かせない施設であった公衆浴場が、今の時代に、形を変えながらも無欲を楽しむ場として残っていることに感謝したい。
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