大阪からきた漁師



 漁師になりたくて大阪から賀露にやってきたおやじがいる。元サラリーマンの彼は、海に出るたびに船酔いに悩まされることから「脱サラ船酔い漁師」と呼ばれている。賀露の方言が理解できなくて先輩漁師から「なんべん言わせるだいや」と怒鳴られたり、悪天候が続き漁ができなくて収入がなくなるなど、都会では味わうことができない経験を重ねた。

 早朝の港で、荷揚げをしている彼に会った。あいかわらずの無精ひげ面は、漁師の風貌をたたえている。「すっかり港の人間になりましたね」とからかうと、「まだまだ慣れませんよ。あいかわらず苦労ばかりです」と苦笑いが返ってきた。

 私の友人の多くは、鳥取を出て県外に住居を構えてしまった。たぶん彼らは、再び鳥取で暮らすことはないだろう。鳥取から離れられない私にとっては寂しい限りだが、脱サラ船酔い漁師のように県外から移り住んでくれる友人がいるのはうれしい。

 鳥取に来たときはまだ赤ちゃんだった娘さんが、お母さんと一緒に仕事のお手伝いをしていた。久しぶりに会う彼女は笑顔が可愛くて、やさしさとたくましさを持った港の子どもであった。私は新鮮な魚が入った袋を両手に持たせてもらい、港のさわやかな風を堪能した。

 
日本海新聞 2013.07.24掲載

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