私の父はお酒が大好きであった。大酒飲みである。
祖父もお酒が大好きであった。祖父の死因は、お酒の飲み過ぎに他ならない。祖母は大酒を飲む祖父が嫌いだったらしく、いつも父に「飲みすぎるな」と注意をしていた。そんな祖母の小言を父がちゃんと聞かないものだから、祖母は孫(私)に向かって「酒は駄目だ」と説教を繰り返していた。
しかし本当は祖母もお酒が大好きであった。例えば、自分からお酒を飲みたいなどとは言わないけれど、お正月などの席でお猪口を勧めると遠慮がちに受け取りクイッと開けてしまう。更に勧めると「もういい、もういい」と断る。そこで、返してもらったお猪口を祖母の前に置いておく。知らん顔でお猪口にお酒を注ぎ足しておくと、そのうち酒が無くなっているのである。
高齢の祖母に無茶なことは出来ないと知っていながら、祖母の満足した顔が面白くて周りに気づかれないようにお猪口に酒を注ぎ足す。このいたずらに気づくのが私の母。冷たい視線で、声に出さない罵声を飛ばすのである。
私の実家は造船業であった。オイルショック前は相当景気がよく、多くの船大工さんが造船所に出入りしていた。特に私が小学生の頃の受注はものすごく、時として大々的な残業を打って船を造っていた。
何事もスローな時代での残業は、大イベントであった。大残業の始まりは、船大工さんたちの夕食づくりから始まる。小学生の私も夕食づくりに駆り出された。とはいっても出来上がったうどんやらおにぎりやらを運ぶだけであったが、にっこり笑ってありがとうと言って頭をなでてくれる船大工さんに夜食を運ぶのは楽しかった。船大工さんのごつごつとした手と港町独特の方言による乱暴な愛情表現は、仕事に明け暮れてろくに子どもと遊ぼうとしない父の代わりにも思えた。
彼ら船大工さんの楽しみは、仕事の後のささやかな宴会であった。一升瓶は仕事場のどこかに隠してある。仕事が終わるとあちこちから仲間が集まり、どこからともなくおつまみを盛った皿が運び込まれて宴会が始まる。そのおつまみは、今考えると大ご馳走だ。ちくわ、するめ、てんぷらは当たり前で、四季折々の魚のお刺身が載っている。
当然といえば当然である。船大工さんたちは漁師さんと仲が良い。その漁師さんからの差し入れが絶えることはなかった。
私の実家もいつも漁師さんから差し入れをいただき、夜の食卓に魚が並ばない日はなかった。ただ残念なことに、子どもの私は魚よりも卵やウィンナーソーセージ、お肉が好物であり、お刺身とか魚の煮物といった類はげっそりであった。
この頃のおやつに、よく親ガニ(ズワイガニのメス)を食べた。それも大きな皿に山盛りのカニのおやつだ。シーズンの初めにはそれでも少しは口にしたものだが、すぐに飽きてしまう。今でもあまりカニに興味を持たないのは、この頃の体験が尾を引いている。
幼い私は、時々船大工さんの宴会に忍び込んだ。夕飯前でお腹がすいていたこともあるが、私の頭をなでたり小突いたりしながら、しっかりと可愛がってくれた船大工おやじたちの笑顔が好きだったからである。時としてうんざりするほどの酔態を繰り広げる船大工さんたちであるが、なぜかホッとする空間に入ることができたような気がしていた。
船大工さんの膝に座れば、目の前にはごちそうの皿盛りとコップ酒がある。つまみをいただくが、隣にあるコップ酒も少々舐めさせていただく。船大工さんたちは、おもしろがって何も注意をしない。酔っ払いの話には興味のない幼い私は、ひたすらお気に入りのつまみをほおばりながら、お酒を舐め続けるのだ。
祖母も母もこの宴会には近寄るなと注意をする。ぐだぐたとつまらない話をくりひろげる酔っ払いおやじたちの最後は、決まってけんかで終わるからである。もちろんそれまでには、おなかを空かせたガキは夕食を求めてさっさと退散するのであるが。
由緒正しき酒飲みの血統を受け継ぎ、恵まれた環境で育ったおやじは、毎晩その能力を遺憾なく発揮する。そんな酒飲みおやじも、年を重ねるごとに我が身に起こる不思議な現象に驚くのである。
美味い不味いに関係なく食べ物に貪欲だったのは、いつもお腹を空かせていた青年期のわずかの期間。本格的に酒を覚えてからは、美味い食べ物(つまみ)への欲望が押し寄せる。
イタリアン、フレンチ、和食などといったジャンルも気になりだした。多少健康的な嗜好もあるぞと主張したくて、キャベツやレタス、オニオンたっぷりのサラダを好物にしたりもした。居酒屋の雰囲気がすっかりお気に入りになり、お酒はぬる燗、大根はおでん、じゃがいもはバター焼きが一番などとこだわりの“贅”を求めるようになった。
多少お金を稼ぐようになると、お酒と食べ物にアクセサリーが必要となってきた。
夜のネオン街での大騒ぎはもちろん、一緒にお酒や食事につきあってくれるすてきな女性のお伴もほしいと願った。料亭というところで静かにお酒を飲むといった“贅”も体験した。
結婚をすると「奥さんの料理」という“贅”を知る。
あれこれ食べたいものを注文し、自分で食材を買ってきては一緒につくったりもする。しばらくは外での飲み食いの魅力を忘れているが、その内またずるずるとネオン街に足を運ぶ。言い訳は、もちろんお仕事のお付き合いである。
本当の美味い料理を知ったのは、ごく最近のような気がする。
勤め先を早期に退職し、外でお酒を飲むこともなくなった。お酒のアクセサリーもいらないし、料理とお酒で満足したら直ぐに横になってテレビや本を楽しみたい。料理の種類や味の嗜好は若い頃と比べて若干変化したものの、こだわりが無くなった。目の前にある食べ物は、どれも美味しくいただくのである。
年を重ねて、ものごとに執着する心も努力も面倒になった「横着者」といえば、そのとおりである。人間としての欲求というものが無くなったのかと問われれば、そうかもしれないと答えてしまいそうだ。しかし、きらびやかで怪しいオーラを放っているような“贅”への欲求が消えた訳ではない。求める”贅”の様相が少しずつ変化しているだけである。
有名なマズローの法則(欲求5段階説)がある。
人間の欲求を、第1段階 生理的欲求(食欲・睡眠・性欲)、第2段階 安全性欲求(住居・衣服・貯金)、第3段階 社会的欲求(友情・協同・人間関係)、第4段階 自我の欲求(他人からの尊敬・評価される・昇進)、第5段階 自己実現欲求(潜在的能力を最大限発揮して思うがままに動かす)の5段に分ける。第1段階は、人間が生物としての基本的な欲求。それが適度に満たされるとだんだんと欲求のレベルが上がってくるというものである。
欲求は、人間には欠かせない。欲求は成長の糧であり、レベルが上がるということは人間が成長したという証でもある。人間は時々、その欲求を満たすために分不相応の金銭や労力を費やし、通常これを“贅”と呼ぶ。
果たして”贅”とはそのようなものであろうか。
どうやらおやじはマズローの法則第1段階の人間の本能というべき欲求で止まっている。睡眠は得意としているから、常に満足している。性欲は年とともに衰退してしまった。食欲だけはしっかりと残っている。きらびやかな料理へのこだわりは無くなり、ほどほどにお腹を満たすことができればよい。ただしお酒は欠かすことができない。お酒のアクセサリーは邪魔だからいらないし、量も飲めなくなったからこれもほどほどでいい。それなりのお酒と料理を、ほどほどに楽しむことが“贅”だと理解するようになった。
間違いなく、横着者おやじになった。
残念ながら世の中の一般的な基準でものごとを考える場合、「横着」として獲得した潜在的能力というのは「成長」とは言わず「堕落」と見なされる。これは本当に心外である。
「横着」という言葉のイメージが悪いのかもしれない。大辞泉(JapanKnowledge)には「すべきことを故意に怠けること。できるだけ楽をしてすまそうとすること。また、そのさま。」とある。
今の世の中、本当にしなければならないことと、どうでもいいこととの区分がわからなくなっている。どうでもいいことを多くの人がすべきことと勘違いして力を注いでいるような事例は多々ありそうだ。楽をせず苦労を重ねることで、更なる多くの人の苦労を引き出すような政治や経済の世界というのもありそうだ。そのような中に自分の身を置いて無理矢理納得させられるのも、遠慮したいものである。
今年、ブータン国王夫妻が来日された。さわやかなお二人の姿をテレビで拝見させていただき、併せてブータンが国の開発の概念として掲げているGNH(国民総幸福量)という言葉をはじめて知った。
第4代国王妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュック王妃は、「GNHの立脚点は、人間は、物質的な富だけでは幸福になれず、充足感も満足感も抱けない、そして経済的発展および近代化は人々の生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない、という信念です。(ワンチュック、2007)」と述べている。(人文社会科学研究第20
号「豊かさの経済を求めて:ブータン王国に思うこと」より引用)
まったくそのとおりであるとつくづく納得する。
GNP(国民総生産)という明確な経済指標によって求めてきた豊かさは、充足感も満足感も抱くことができない多くの日本人を生んでしまった。人々の生活の本質は何なのかという原点さえても見失い、3Dシミュレーション画像の中で踊っているかのごときライフスタイルが当たり前と言われているような気がする。
結局おやじの欲求は、「横着者になる」というところで落ち着いた。
横着を求める背景には、幼い頃汗くさい船大工さんのひざの上で舐めたコップ酒の味がある。それは、普通に一生懸命働き、当たり前のおいしいご馳走を食べ、わずかな時間を心から楽しんでいたおやじたちの当たり前の“贅”であった。
行く末を見定めることもなく、やたらと気ばかり焦っているような時代にあっては、この類の”贅”を見届けるまで「横着者」であっていいような気がする。
生活の本質を当たり前に楽しむことを“贅”と表することができるようなれば、世の中ももう少し変わるのかもしれない・・・などとつぶやいてみるのである。
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