本当に反省すべきことなのだが、朝起きて「さて今日は・・・」と仕事のスケジュールが頭をよぎると、一挙にずぅんと気が重くなる。癖といってしまえばそれまでだが、難しい顔につき合わされる家族にとってははなはだ迷惑な癖だ。無口で不機嫌顔のまま朝の食卓に向かうと、子どもも女房もやはり不機嫌に出迎えてくれる。
たまに気を遣ってわざと歌を口ずさんだりすると、「とうとうおかしくなったかぁ」と冷たい娘の一言が飛ぶ。そして、ますますと気持ちが沈んでいくのである。
そんなある朝、機嫌が良さそうな娘の鼻歌が聞こえた。
下手にからかえばその数倍のお返しがくるのは目に見えているが、朝食の最中にも口ずさむものだから、おそるおそる「おや、ずいぶんとご機嫌ですな」と伺うと、
「アンダンテ・カンタービレ」
「???」
アニメの題名で似たような言葉を聞いたことがある。
「カンタービレってなんだっけ?」
「歌うように! アンダンテ・カンタービレは、歌うように緩やかに!」
「それって?」
「今朝の気分!」
「?????!」
髪を伸ばしてギターを抱えて怒鳴るフォークソングこそ青春、熱燗を飲みながら唸る演歌こそ人生と、音楽に対してはそれなりのうんちくを持っているつもりのおやじなのだが、残念ながら音楽の「お」の字もまともに勉強をしたことはない。「カンタービレ」などというなだらかな横文字(音楽標語というらしい)を聞き、なんやら音楽の崇高さを知ったようでうれしい。
アンダンテ・コン・モート 気楽にのんびりと
グラシア 優雅に
ヴィヴィッシモ 生き生きと
もう少し早くこのような言葉を知っていたら、「おやじ」も「おじさま」になっていたかもしれない。人生をグラシアに、そしてヴィヴィッシモに生きる品の良いおじさまに・・・。
さて、とうていおじさまとは呼べそうもないわが街のおやじと漁師たちの、カンタービレのお話である。
平成14年。地球温暖化の影響なのかどうかわからないが、この沿岸にはいなかった「赤イカ(ソデイカ)」がたくさんとれるようになった。赤イカ漁ができるようになったからといって、決してうれしい話ではない。本来、獲れるはずの魚種がほとんど獲れなくなり、その代わりが赤イカだったのである。珍しさもあってか、赤イカ漁は漁師たちの息繋ぎとなった。
賀露港では、イカ漁といえば白イカやスルメイカである。すしネタで有名な赤イカも地元ではあまり口にされない。赤イカは1mくらいの大きさにまでなり、冷凍保存でも味が落ちない。むしろ新鮮なものより冷凍した方が軟らかく甘みも出るように思える。半解凍での刺身はルイベ(北海道の鮭料理)のようにたいへん美味しい。鍋やしゃぶしゃぶ、八宝菜にも合う。しかし、賀露の赤イカの知名度はゼロ。そこで考えたのが、赤イカ音頭であった。
作詞作曲:おやじの会理事長の息子。唄:理事長の息子と元劇団四季の女優さんI嬢。
CDもつくった。CD制作:NPO法人賀露おやじの会。CDジャケット絵:理事長の娘。
結局は、理事長一家のひまつぶしのようにも思えるのであるが、漁師たちの仕事が、カンタービレとなった。
〜どこから来たのかよ〜♪ 〜おいら赤いイカさ〜♪
〜どこが顔なのか〜♪ 〜へそはあるのか〜♪ 〜ところで白身なんだろか〜♪♪
これだけで終わらないのが漁師の恐ろしさ。無謀にも踊りの振付までできた。
赤イカ音頭踊り振り付け:町内の踊りのお師匠さん。
赤イカ着ぐるみ制作:漁師のおばさんたち。
「はい、みなさん一緒に踊りましょう。」
「波にもまれた大きな赤イカが(振り付け)・・・」
「墨を吐きながら飛び跳ねて(振り付け)・・・」
「賀露の漁師にとられて舞う〜舞う〜(振り付け、振り付け)・・・」
各地のイベントで、赤イカ着ぐるみを着た漁師たちの乱舞が続く。
もちろん赤イカ漁の合間にも、船上で歌と踊りの練習が続いたとか。赤イカ漁は小型漁船での漁であるからもちろん船上の漁師は一人。誰も見ていないから良いようなものの、ひげ面漁師が船上で踊っている姿は想像したくない。
街で赤イカ音頭が少し有名になり、そろそろ飽きたかなと思った頃、漁師とおやじは新たな手を思いつく。赤イカマーチである。さすが、元劇団女優I嬢の編曲。歌詞さえ無視すれば運動会や町内イベントなどどこでも使える楽しい曲だ。調子にのったおやじの「マーチとぬいぐるみで街中を練り歩こう」との提案を思い止まらせるのには至難の業であった。
昔と違い、いつまでも豊漁が続くというありがたい話はまずない。赤イカ漁もその内漁獲量が落ちてしまい、漁師たちの赤イカ音頭熱もいつしか冷めてしまった。しかし、音楽の力のすごさを改めて知ってしまったこの事件に、おやじたちはまた新しい遊びを生み出したのである。どこまで本気なのかわからない漁師とおやじどものカンタービレは、その後もしばらく続く。
まずは港の競り市場でのジャズコンサート。もちろん会場の外では特産?赤イカ焼きとビール。
おやじも来場者もすばらしいジャズに大満足であったが、いちばん気の毒だったのは、嫌な顔を見せずにすばらしい演奏をしていただいた有名なジャズミュージシャン。地元では前代未聞の暴挙とうわさされ、その後、施設管理の方からしっかりとお目玉をいただいた。(申し訳ありませんでした。)
それではと、お寺の集会場で「童謡唱歌の夕べ」とソフト路線に変更。
当然会場の外での赤イカ焼きとビールは、おやじ専用。文部省唱歌「茶摘み」が、宴会ソングにぴったりあうという発見もあった。
童謡と唱歌にすっかりはまったおやじの次の会場は、海岸。
「夕日をみながら海の歌を唄おう」と大型スピーカを海に向け、おやじも奥さん方も子どもも大声で合唱する。
わ〜れっは、う〜みのっこ、しっらなみっの〜♪♪
これはビールなしでも十分に楽しめる。
この頃、ある漁師がとんでもないことを考えていた。市民ミュージカルコンサートへの参加である。結果、おやじたちも大道具小道具の制作やセッティング、会場整理にアンサンブルと、始めての不思議な体験をすることになった。
このコンサートは見事に大成功。全身全霊をつぎ込んだ漁師は、しばらく漁に出る気力もなくなり、おやじたちは更なる企てを求めて大反省会を何日も続け、いい加減に働けという奥方たちの叱責によってようやく平常心を取り戻した。
コンサートを主催した市民劇団のパワーにより、おやじ達は確実に改造されてしまった。
赤イカ音頭に続く第2弾「白イカ祭り」の制作。おやじの活動メインテーマでもある地球温暖化をテーマとした「未来<地球>を守って」のレコーディングへと続き、その後に企画するイベントは、参加者への気遣いとか、場の雰囲気調整などはまったく無視したカンタービレと化すのである。
地域づくり討論会「市民参加でつくる鳥取港・賀露みなとの魅力」・・・にプラスして、ミュージカルコンサート。
アイドリングストップの呼びかけ大会・・・にプラスして、呼びかけコンサート。
地球温暖化の勉強会「ナイロビ国際会議報告会」にもプラスして、「こどもたちと歌い!考える!地球を守る歌」を。
もう音楽だけでもいいやと、「おやじ&こどもたちのミュージカル体験教室」へとお調子者の悪のりが続くのである。
この体験教室に参加してくれたHおやじは、気の毒にもその後ミュージカルおやじ、オペラおやじと化し、家族を巻き込んでのカンタービレ一家をつくることとなった。息子さんたちの迷惑顔は少々気になるが、我々は、責任はとらない。
ここで教訓を一つ。
音楽が大好きで、歌を歌うのも大好きなおやじたちではあるが、正直、人前では多少控えめに歌うべきであることを勉強した。おやじが調子にのって歌う時、側にいる人の顔が恐いことに気づいたからである。それほどひどいおんちだったとは思っていなかったのだが、やはり皆で楽しむためには、多少のがまんも必要だということを知ったのである。
「カンタービレ」は「歌うように」であり、「ように」だけで人生を楽しめるということを。
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