どんなに世の中が便利になっても、私たちの生活テンポのスピードは衰えることはないようです。
1日24時間は変わりませんが、やっつけなければならない仕事の量や幅はどんどん増えているような気がします。ですので、スピード、スピード・・・スピードが求められるのです。
常に新しいモノが求められ、新たなシステムの中での生活を余儀なくされてしまうのが、今の時代なのでしょうか。
これって、まだまだ当分続きそうですね。
しかし、私たちはこの「スピード社会」に生きることを、結構簡単に受け入れているようにも思えます。
自然の中で生活する植物や動物には考えられない世界ですね。
「スピード社会」に一番鈍感な生き物は、実は人間であったのかも知れません。
子どもたちは生まれながらに、この「スピード社会」に投げ出されています。
親が毎日疾走しているわけですので、子どもたちは何も考えなくても疾走を強いられているのでしょう。
人間って、こんなにスピードに堪えられる生き物だったのでしょうか。どこかで無理が生じているのではないでしょうか。人間は高等動物であるからこそ、今の進歩と繁栄の中で生きているのですが、高等動物であるが故に今を満足することはありません。変わらない時間の流れの中で、常に効率性・利便性といった変化を求めているのです。
体はスピードに慣れるかもしれませんが、心はどうでしょう。生まれた時からスピードの中で生きる子どもたちは、本当に今のスピードについて行くことができているのでしょうか。
「子どもたちを取り巻く環境に、疑問を感じています。」とおやじは言いたいのです。
人は効率性・利便性を求め、こんなのがあったらいい、あんなものがいいと「考え」ます。
この「考える」という行為は大きな経済システムの中で実行されています。それもものすごいスピード社会の中で、多くのモノやシステムを考え、つくりだし、壊してはまたつくっているのです。
子どもたちは、自分の周りを流れるこの動きを眼で追うことだけで精一杯であって、「自分で考える」、「自分がつくり出す」という創造力は、ほとんど欠いてしまっているように思います。創造力が無ければ理解力も乏しくなり、誤解が生まれます。「誤解」を理解することができず、修正もできなければ、誤解がそのまま人として現れます。いじめや不登校っていうのは、まさに子どもたちが誤解を積み重ね、それが現れた結果だと思うのです。
創造力を養うきっかけは経験です。すばらしいことを知る経験、悲しいこと知る経験、心を揺れ動かす経験が大きな創造を産みます。「人を愛する」という創造も、「愛した、愛された」という心を動かす経験がなければ産まれることはないと思います。
心を動かすためには、心を動かす環境が無ければなりません。
子どもたちの一番身近な環境は、家庭であり親とのふれあいです。子どもたちの豊かな心を育むには、家庭で親が豊かな心に触れさせてあげることが大切だと思います。母親の胸のぬくもり、父親のゴツイ腕に抱かれながら育つことにより、人の愛、人へのおもいやりを経験するのでしよう。
もっと子どもたちを溺愛しましょう。
時間をかけてゆっくりと心を育みましょう。
スピード社会の中で子どもたちは、愛されること、愛することに悩んでいるように見えます。
もっともっと子どもたちに愛を経験させましょう。
人の心をもてあそぶということがどんなに悲しいことかを理解するまで、子どもたちを溺愛しても良いと思います。
これって、私たちおやじの役目のように思います。
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