「今の若いものは・・・。」
子どもの時、どれ程この言葉を聞かされたことでしょう。この言葉を聞く度に「そう、おじじの言うとおりですよ。だけどもおじじに俺のことなんか絶対わかんないよ」と心の中で舌を出していたような記憶があります。
あれ・・・?
最近、私の口からも「今の若いものは・・・。」って言葉が・・・?
「宿題もしないで、ゲームばっかりして!」
「ちゃんとした日本語を使わないで、絵文字ばかりのメールを送りやがって!」
「こんな幼稚な音楽のどこがいいんだ!」
あれぇ・・・?
おじじたちの「今の若いものは」の言葉をどれほど理解していたのか、正しいことだったのか間違ったことだったのかは都合よく忘れてしまいましたが、言葉は耳を通り抜けていたような気がします。きっと今の子どもたちも、「今の若いものは」とつぶやくおやじの言葉なんて聞いていないでしょう。
私は、今の子どもたちが置かれている環境は「おかしい」と思っている一人ですが、そもそもその環境をつくった責任者の一人は誰あろう私自身ですので、その中にいる子どもたちを「今の若いもの」と揶揄すること自体、本当はたいへん失礼な話です。
ましてや、昔自分が否定しながら聞いた言葉をおやじになって自分で吐くこと自体、全く矛盾していることですね。
子どもたちに話しかけるちゃんとした言葉が見つからないから、「今の・・・」とつぶやいてしまうのでしょうか。
そしてたぶん、今の子どもたちも大人になったら、「今の若いものは」とつぶやくのでしょうね。人の心の歴史も、いつも同じことを繰り返しているのかも知れません。
さて、いい言葉が見つからなくても、子どもには語りかけなければなりません。
子どもが何を考えているのかを一生懸命聞いて、一生懸命考えて話をしなければなりません。子どもたちの気持ちを理解したつもりだけでも、本当はわかっていなくても、話をしなければならない場面が多々あります。子どもたちが自分で理解できない重圧に悩み、自分で命を落としてしまうような時代だからこそ、昔以上に子どもたちとの語り合いが大切です。
「おやじの話が分かってもらえなかったらどうしよう。」
たぶん多くの場合、おやじだけの考え方でおやじなりの理解をして、おやじの言葉でしゃべっているのでしょうね。昔経験したはずの「子どもの想い」なんてのは、すっかり忘れてしまって。
苦しんでいる子どもたちへのおやじの言葉は、多くの場合、空振り三振です。
三振の山を築いてしまったら、もう作戦が無くなったら・・・。
その時は、苦しんでいる子どもたちと一緒に泣いちゃいましょう。
涙を流すみっともないおやじもいいかもしれません。
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