そろそろ夏が近づいてきたなと感じられる頃、ビールでも飲もうとおやじ事務所へ立ち寄った時のことでした。
F理事長が、ボソッと私につぶやくのです。
「三重にいくぞ。」
「え?」
「三重県で全国おやじサミットというものがあるらしい。」
「ふ〜ん、あっそう。気を付けていってらっしゃい。」
「おまえもこい。」
「・・・・・・。」
然したる理由もなく、まあ暇をもてあましていたということもあり、我がおやじの会有志で第2回全国おやじサミットに出席することとなりました。
おやじの会を名乗る団体は、全国各地にあるということは聞いていました。
「まあ、物好きなおやじたちが酒を飲みながらノスタルジックに騒ぐ会なのだろう」程度の認識でしたので、全国サミットなどというイベントにもまったく興味は湧かなかったわけです。
ところが三重県に到着し、サミットを経験し、大交流会に参加し、ゴルフ場での二次会を終えた頃には、頭の中はすっかりサミットに染まっていました。もちろん、F理事長の「第4回は鳥取県でやります!」宣言に呆れていたということもありますが、いくつかの新鮮な金槌が私の頭をこづいていたのです。
その一つが、Yおかみさん・・・おかみの会(三重県)でした。
私にとって「おかみの会」は「婦人会」であり、井戸端会議の代名詞でした。サミットで意気あがるおやじたちの横で、まったく堂々と威厳あるオーラを発しているおかみの会の存在は、ほんとうにうらやましく思いました。
「PTAにはお母さんしか出て来ないっていう話があるけれど、うちのおやじたちはPTAでがんばっています。だから私たちもおかみの会をたちあげました。」
「婦人会もいいけれど、集まりたい時に集まって、子どもたちと一緒に、おもしろいこと、楽しいことをやるのです。」
いいなぁ・・・。
戦前の日本には、愛国婦人会、大日本国防婦人会、大日本連合婦人会という3つの大きな婦人団体があったようです。今はどうなのか分かりませんが、昔は組織を創り上げること自体に重要な意義があったように思えます。愛国婦人会は貴族や高級官僚など上層階級を基盤として発展した組織、大日本国防婦人会は陸軍と直結した戦時色の濃い婦人組織、大日本連合婦人会は学校教育への理解や家庭教育の振興を目的とした文部省所管の半官製の婦人組織でした。
太平洋戦争に突入する頃になると、完全な官製組織として大日本婦人会が設立され、大政翼賛会の下部組織として戦争遂行の役割を担わされていたようです。日本中が戦争一色に染まり、子どもたちを戦場へ送り出すことに一番抵抗感を持っている母親たちの想いを完全に封鎖してしまいました。さらに敗戦が濃厚になり大政翼賛会が解散すると、大日本婦人会も国民義勇隊女子隊に改組され、婦人たちも戦争の前面に立たされることとなったのです。
戦後になると、婦人会はマッカーサーによる改革の中で平和の砦として大きな期待が寄せられることとなりました。中央では新日本婦人同盟、婦人民主クラブ、大学婦人協会、日本産婆看護婦保健婦協会、主婦連合会と次々に華やかな婦人団体が誕生しました。地域では、「同一地域の主婦」というキーワードで多くの地域婦人会が育ってきました。現在私たちが婦人会と呼ぶ組織は、この地域婦人会が源流のようです。(参考文献 全地婦連30年のあゆみ)
先日、ある婦人会の総会に招かれ、お話をさせていただく機会を得ました。
この婦人会は昭和22年に設立され、今年でちょうど60周年。まさに戦後の婦人会の歴史そのものです。この婦人会会則に記されている目的には、「本会は婦人会の本性を自覚し、会員相互の融和協力により婦人の教養を高め、地位の向上を図るとともに生活を合理化し、子女の教化、社会の浄化に努め、文化日本建設に寄与する。」とあります。
確認はできませんでしたが、この目的はたぶん設立当初から変わっていないように思います。マッカーサーが掲げた5大改革「選挙権賦与による婦人の解放」、「労働組合結成の奨励」、「学校教育の民主化」、「秘密警察的弾圧機構の廃止」、「経済機構の民主化」を色濃く反映した内容となっております。
「この目的はすばらしいですね。戦後からがんばってきたお母さんたちの信念がよく理解できます。」と素直に感想を述べたつもりだったのですが、お母さん方の反応はなし。歴史を重ねたお母さんにとって、若造の私の感想など「あっ、そう」程度だったのしょう。
しかし、「私の母も、ちふれ化粧品の共同購入などの消費者運動をしていた記憶があります。よく化粧品談議をする母の側で遊んでいましたよ。」という話には、会場のあちこちで昔話がこぼれてきました。
この婦人会のもっぱらの悩みは、後継者不足とのこと。
ご近所組織の婦人会は、今の若い奥さま方にはあまり興味がないのかもしれません。夫婦共働きがあたりまえの時代ですので、「何をすき好んで大切な休日を婦人会で・・・」というのも、私は理解できるような気がします。
それでも私の地域の婦人会には、若い奥さんも参加しているようです。ご近所付き合いでしぶしぶということもあるのかも知れませんが。ただ、会長や副会長などの役員になる人がいなくて、会長不在のまま運営されることもしばしばとのことです。
それはさておき、戦後、経済戦争に明け暮れたおやじたちを尻目に、地域を守り地域できちんと子育てをこなしてきたのは、紛れもなくお母さんたちだったのです。「子育ては母親の仕事」、「学校のPTAはおかあさんの役割」というのも、これまでの歴史的な背景が残っているからなのでしょうか。
私のイメージの中では、「おかみさん」とは「強烈なパワーを秘めた物静かなやさしいおかあさん」であり、「家庭や地域を陰で仕切る圧力団体構成員」です。
私の地域だけではないと思いますが、自治会とか町内会とかの決めごとは、年配の「おじじさま」の仕切りにより物事が決まるのが通例です。高齢者が多い地域だからそうなのかもしれませんが、おじじさまのパワーは本当にすごくて感心させられます。私たちおやじは、「おじじさま」から見ればいつまでもハナタレ坊主です。
しかし、このおじじパワーに打ち勝つ力がおかみパワーなのです。
普段おかみさんたちはそのパワーを封印しているのですが、何かの拍子に突如として閃光を放ちます。一度右を向こうと言い出したおかみさんたちに、左の方を向こうと主張するおじじパワーは通用しません。おじじがいくら駄々をこねても、最後は必ず右を向くことになります。口角泡を飛ばしながら議論するおじじたちをよそ目に、静かなおかみさんたちは確実に地域を制しています。
そこでふたたび、全国おやじサミットin三重での「おかみさん」の話。
私のイメージが、サミット会場の壇上にありました。
後でYおかみさんの旦那Yおやじさんに伺ったところによりますと、「物静か?そんなばかな・・・。」だそうですが、とにかくスーパーウーマン的な力を持っているおかみさんが、婦人会とは別の「おかみの会」を結成しておやじの会と連んでいるのですから、「恐るべしMTおやじの会(三重県)」です。
「まあ、たぶん鳥取では無理でしょうな。」
F理事長と私は、完全に同じ結論を得ました。
いくら私たちおやじの会のおかみに結成をお願いしても完全に無視されるでしょうし、たとえ結成されたとしても我々おやじの小遣いと酒を取り上げることに全力を尽くされそうな気がしましたので、あえて声をあげるつもりはありませんでした。
悔しさ紛れに強がりを言いますと、私たちおやじの会には、おかみとは違ったかわいい子どもたち(?)がいます。おやじの会コーディネータMひめ、おやじの会専属画伯R子、おやじの会専属アドバイザーK嬢。将来彼女たちがおかみの会で活躍するよう、密かに期待するだけで満足です。
さて、おかみの会への淡い想いが消えそうになった頃、第1回鳥取県おやじサミットが開催されました。全国おやじサミットのプレイベントとして、鳥取県米子市のおやじさんたちが中心となって汗を流してくれました。その大交流会の席のことです。
「てめえら! 誰のおかげでおやじをやっていられるとおもってんだ!」
いたのです。鳥取にも。
Aおかみさんの華麗な出現は、私の眼を疑いました。
「こら〜おやじ、頭がたか〜い!!」
きゃ〜、でた〜。
Yおかみさんとは違ったパワーの持ち主のAおかみさんの出現に、鳥取県のおやじの会の明るい未来を見たような気がしました。
「Aおかみさんは、絶対全国デビューすべきである。」
「Aおかみさんのすさまじきパワーは、おやじを変える。」
ワクワクの私に対してAおかみさんの旦那H彦さんは、「おまえは絶対勘違いしている。」と冷静な分析結果を示されるのですが、私の頭の中には全く届いておりません。
全国おやじサミットinとっとりのテーマは「語れ、おやじの熱い想いを!」だったのですが、私としては「Aおかみ」のパワーがメインテーマだったような気がしております。
もちろんサミット全体を通して、Aおかみさんは期待を裏切ることなく、遺憾なくそのパワーを発揮してくださいました。
「おい、おやじ! てめえら洗濯ばさみがどこにあるか、しってんのか?」
きゃ〜、きゃ〜。
「てめえらおやじが遊んでいる間に、おかみは嫁姑戦争や、しょうもねぇ回覧板だとかいろんなもんに手を割かれているんだ。わかっとるんか〜!!」
きゃ〜、きゃ〜、きゃ〜。
「おやじが遊んでいられるのも、家庭円満が第一。おやじはちゃんとおかみのために積み立てくらいしとけ〜。」
ぎゃ! 納得。
もう一つ、心から願っていたのがAおかみとYおかみとのコラボです。
そして見事な展開と言いましょうか、大交流会壇上でAおかみさんが放つ「ギャオスの300万サイクル超音波メス」に対して、ガメラのごとく出現したのがYおかみ。
「ちょっとまった〜。」
待っておりましたとも。
「私は誰よりもうちのおやじを尊敬しております。私が酔っぱらってゲロを吐いたときも必ず助けてくれます。」
ついでに旦那のYおやじも。
「きれいなよめさん、もらいました。」
はは、こりゃすごい夫婦だ。
おやじとおかみの大バトルに、もうはしゃぎまくりの交流会でした。
話は前後しますが、全国おやじサミットinとっとりでのHおやじとの会話をご紹介します。ちょうど「おやじの会&おかみの会」をテーマに議論真っ最中の楽屋裏での会話です。
Hおやじ 「ねぇ、”おかみ”ってどんな漢字を書くんだろうねぇ?」
そんなこと考えてもみなかった私の頭には、「女将?」「お上?」「オオカミ・・・?」
私 「やっぱり平仮名なんじゃないですかぁ。」
Hおやじ 「・・・・↓」
Hおやじは、その後「おかみ」を「女神」と定義されました。「おやじ」がぐでぐでしていても、「おかみ」はちゃんと働きます。「おかみ」がそっぽを向いたら、「おやじ」はおろおろします。そんな「おかみ」を「女神さん」と呼ぶことを、悔しいけれど私は認めます。多くの女神さんたちに尻を叩かれながら、おやじたちはがんばらなければなりません。
地域で動く「おやじ」、その「おやじ」を操る「おかみ」は家庭と地域の原点です。
この「おかみ」がいて、「おやじ」と一緒にきちんと正面を向きながら子どもたちを見守っていけば、「いじめ」なんて無縁の世界であることを確信します。
(追記)
Yおかみさん、Aおかみさんをダシにこの拙文を書いてしまいましたこと、心よりお詫びいたします。お二人とも、本当にすてきなおかみさんであることを、改めてきっちりとお伝えします。
また、全国おやじサミットinとっとりで、N小おやじの会(香川県)さんより、「おかみの会」の設立のご報告がありました。N小おやじの会が着ている黄色のTシャツの胸には、ビールジョッキが走っています。そのビールジョッキを踏んづけている絵を胸につけたショッキングピンクTシャツのおかみの会の皆さまに、是非一度お会いしてお話を伺いたいと思っております。
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