今年の夏、とにかくおやじたちはよく遊んだ。
東郷池の畔で開催したイベントの話である。近くの山から竹を切り出し、円形ドーム、ジャングルジム、プールをつくった。東のおやじは、樹木の上に大人も寝転ぶことができるツリーハウスをつくり、西のおやじはドラム缶風呂を持ち込んだ。空き地にはダンボール箱を積み上げ、スコップやら大工道具やらを辺り一面にばら撒いて準備は完了。
遊び仲間は、もちろん子どもたちである。その子どもたちに、おやじは宿題を投げつけた。
「ここは安全できれいに遊べる場所ではありません。何をしてもいいし、何もしなくていいです。おやじが声をかけて遊びを提案することはありません。もちろん危険はあります。自分の責任で、自分で考えて、好きなように遊びましょう。」
おやじの経験から言えば、遊びとは常にそんなものであったが、昨今の世情を考えるとかなり無謀な試みでもある。
しかし子どもたちはそんなことはまったく気にもせず、本当によく遊ぶ。
高さ5メートルもある竹ジャングルジムの上を平気で飛び回り、ダンボール箱の秘密基地を組み立てては壊す。竹プールの中では、いつのまにか遊びのルールが出来ていた。そんな姿におやじたちの心配はいとも簡単に吹っ飛び、子どもたちと一緒に草の上を転げ回っていたのである。
発想力や創造力、自立心に行動力、人を思いやる心とか集団でのマナーといった類のものは、本来幼い頃から遊びを通して、人と人、人と自然との付き合いの中で身に付けるものだ。Aおやじは、「子どもは遊びの中でふるさとを覚え、ふるさとを覚えることで優しい心が育つ」とまで言い切る。
だが、ふるさとを感じながらたくましく育つための遊び場は、今は本当に少なくなってしまった。大切な遊び場を子どもたちから取り上げたのは、まぎれもなくおやじたちなのであるが・・・。
そんな自責の念もすっかり忘れ、炎天下ではしゃぎまくるお気楽おやじたちの傍らで、その光景を静観する影があった。おかみさんたちである。
おやじたちが勝手に企画しておきながら半ば放り出し状態のイベントを、食事の準備やら、買い物やら、幼い子どもの面倒やらとしっかりサポートをしてくれた。
むじゃきに遊ぶおやじたちの姿にあきれ果てたおかみさんの声が聞こえる。
「ほんとうに、このばかおやじどもは・・・。」
おっしゃるとおりである。 |