この春、最後の小雪が舞った日、広島県の山間にある高校の卒業式にお邪魔した。
同じく今年、高校、大学を卒業した私の二人の娘の卒業式には、まったく無関心であったくせに。
実はこの卒業式の2週間前、おやじたちは神妙に勉強した。その時の講師というのが、元中学校教師でこの高校の理事長。普通の教師とは少し違うぞという風貌のおやじの講演は、とにかく凄かった。
例えば、過ちを犯した子どもを親が諭す場面。
「おねえちゃんはちゃんとできるのに・・」という言葉の後には、「でもあなたは・・」と続くでしょ。比べられた子どもは、そうだなと思いますか?
「おかあさんはあなたのことを心配しているのよ」という言葉の後には、「なのにあなたは・・」と続くでしょ。親が自分を正当化し、子どもが悪いとすり替えているのですよ。
一見思いやりのありそうな言葉の中で、人格を比較され、「でも」という言葉で否定され、最後に「おまえの責任だ」と押し付けられた子どもは「ごもっとも」と反省しますか?(注)
公務執行妨害の逮捕歴(もちろん誤認)を持ち、問題教師として名を馳せたこのとんでもないおやじは、中学校の教師をやめて高校をつくった。いじめの被害者や心因性の不登校の子どもたち、やんちゃに夢中になって学校をやめた子どもたちが、もう一度勉強に打ち込むための学校である。そんなおやじがつくった高校の卒業式を、是非一度みたかった。
厳粛な雰囲気の中で続く祝辞、卒業生の答辞、保護者のお礼の言葉。どの話にも含まれていたのは「辛」と「苦」。卒業生の背中には、この二文字が重い塊(かたまり)となって被さっているようにもみえた。
決してその塊がすべてとれて卒業をするわけではないと思う。これから先に出会うであろう二文字の重さを一番よく知っているのもまた彼らだ。しかし性急過ぎる時の流れの中で苦しんでいる子どもたちのために、昼夜を問わず現場で戦ってきたおやじだからこそ、彼らの笑顔を引き出すことができたに違いない。
このおやじのつぶやき(講演)は、今の社会に向けての怒りのようにも聞こえたのである。
さて、ゆっくり歩いてくれと願っている私の娘も、なんとか仕事に就くことができた。
「まあ、あせらずに人生を楽しんでくれ。」
「え〜おとうさんのようなお気楽人生でいいのぉ?」
「あ、まあ、その・・・。」
(注)紹介した内容は、講演を聞いた私が、私なりに解釈して書いたものです。 |
つぶやいた日 2009.4.14
日本海新聞 楽団 2009 vol.11春号掲載
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<追記>
2010年春、このおやじの話をもう一度聞きたくなったおやじが、高校に電話を入れた。
「また、鳥取でお話を聞きたいのですが・・・。」
「理事長は、外出禁止処分になりました。」
「はぁ・・・・?」
誰もが「また何か悪いことをやったな」と確信した。このおやじを世間の常識で語ることはできない。何があってもおかしくないおやじだからだ。
それでは謹慎処分が解けるまで待ちましょう、という話になった。
2011年春、もうそろそろ・・・としびれを切らしたおやじから連絡が入った。
「昨年の9月、逝っちゃった。」
54歳の太くて短くて濃いすぎて何があってもおかしくないおやじの話は再び聞くことができなくなったが、彼のつぶやきは私の心の中にきっちりと刻まれている。
心より、ご冥福をお祈りいたします。 |
追記をつぶやいた日 2011.6.20
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