不思議なおやじたち
イラスト ののはら りこ

 一昔前は怪しい団体と思われていた「おやじの会」も、多くの小学校区でつくられるようになって社会に認知される愛称となった。
 「おやじの会です。」と自己紹介すると、「おやじの会、知っていますよ!」、「私の小学校区にもおやじの会がありますよ!」と笑顔で返していただくのは、本当にうれしい。

 世におやじの会がどれだけ蔓延しているのか正確な実態を把握することはできないが、日本には相当数の団体があり、その設立経緯も様々だと聞く。PTA活動がきっかけで、PTA活動をそのまま発展(没落?)させたおやじたち。PTA活動だけではもの足りず自分たちの自由な発想をもって活動しようと集まったおやじたち。単なる遊び好きのおやじが、遊び仲間を集めたいためだけに看板を上げてしまった会もある。

 ただ、どのおやじの会も、組織や規約に縛られることなくのびのびと活動したいという堅い結束があるようだ。
 お母さんと一緒に活動しているのに「おやじの会」という名前はおかしい、お父さんがいない子どもたちがいるのに「おやじの会」はいかがなものか、といった話も飛び出すが、どの主張も正しいと認め合う不思議な集団なのである。

 最初は、子どもたちと一緒に遊ぶことだけが楽しくて騒いでいたおやじたちではあるが、回を重ねるごとにだんだん賢くなる。賢くなれば、それまで心の片隅にぶら下げていたわだかまりをプチっと切り、お節介にも子どもたちを取り巻く社会環境や失われていく自然環境などについて「ひとこと」言いたくなる。
 不思議なことに、どこの会のおやじたちも同じような「ひとこと」を吐くのである。

 だが、真剣に議論を進めるにつれ、そのうち何故か無口になる。
 例えば、地球温暖化問題はおやじたちががんばった経済活動の結果であったり、メディアから流れる有害情報に苦しむ子どもたちに、携帯電話やパソコンを放すことができないおやじが文句をいってもむなしい・・・と。

 結局、ひたすら行動を起こすことを考え、子どもたちに「汗を流すおやじを見ろ」というのが精一杯。しかし、汗を流した後のおやじは強い。当然のごとく酒を酌み交わしながら、子どもが置かれている環境を嘆き、地域の疎遠さを憂い、子どもたちの未来のために何をすべきか議論する。

 よっぱらいおやじは、次から次へと奇抜なおやじ的発想を産み出し、世間に行動を呼びかけたくなる。

 「おやじが変われば子どもが変わる。子どもが変われば地域や学校が変わる。地域や学校が変われば世の中が輝き、素晴らしい未来が見えてくる。」

 世の中から争いごとを無くし、誰もが楽しく暮らせる地域をつくり、子どもたちの未来に大きな財産を残そうという壮大なアイデアは果てることはない。
 しかし、そんな熱い想いも、翌朝にはすっかり忘れてしまうところがおやじのおやじたる所以(ゆえん)である。       
 
つぶやいた日 2008.4.10
日本海新聞 楽団 2008 vol.7春号掲載 一部修正加筆

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