木工屋の悩み
 
クラフト工房「くりこ」作品 木のペンダント
(鳥取木材工芸振興会ホームページより)
 
 やぶちゃんが木工を始めて、15年が経ちました。
 趣味から始めたものの、それなりの年月を重ねていますので、知識も技術も一流です。「木工職人さん」と呼ぶのがふさわしいと思うのですが、「職人」と名付けると丁稚から始めて数十年のキャリアを積んだ人をイメージしますので、苦労を重ねた木工職人さんに敬意を払って「木工屋さん」と呼ぶことにしましょう。

 「木地師」と呼ばれる木工職人さんもいます。
 日本木地師学会のホームページを見ると、「木地師は木地屋といわれ、江戸時代から明治時代初年まで『手挽ろくろ』という道具を使って、お椀などの木地を作った職人さんです。」とあります。
 やぶちゃんも「ろくろ」を使って木工品をつくりますので「木地師さん」と呼んでみたいものの、やはり歴史のある職人さんの技には一目も二目も置いていますので、「木工屋さん」がいちばん似合っているように思います。
 ※ 引用先 日本木地師学会ホームページ http://www.tvt.ne.jp/~kijishi/wood/ より
 
 その木工職人さんの話ですが、昔は木工品をつくることでちゃんと生活ができていました。はたして日常生活の必需品として木工品がきちんと位置を占めていたのか、はたまた昔の人は木工品が好きだったのか、更にはなぜ今は木工品が使われないのか、実のところ私にはよくわかりません。住宅や家具は、確かに昔は木が主流でした。お盆やまな板などの台所用品もそうでした。木工品が少なくなった理由はそれぞれあるのでしょうが、総じて「新しい技術」と「経済的価値」の変化にあるように思っています。

 やぶちゃんが属していた「八頭郡木材工芸振興会」は昭和60年に設立され、鳥取県八頭郡を中心に木竹工芸の振興と技術の向上・伝承を目指して活動していた木工職人の集団でした。木の持つ「温かさ」や「柔らかさ」を伝え、また木の魅力を多くの人に伝えようと活動してきたのですが、木工品の製作だけでは生活ができなくなり、団体の活動もだんだんと縮小してきました。

 やぶちゃんは振興会の中では下っ端でしたので、振興会の運営やら活動方針にむやみに口を出すことはできませんでした。いや、その当時は、口を出すほど真剣に振興会の行く末を考えてはいなかったのです。
 「まあ、時代の流れかなぁ 自分は自分流で楽しもう」と思っていました。

 振興会の会員さんと会話を交わすにつれ、またお付き合いが深まるにつれ、無口な木工職人さんの気持ちが少しずつ分かってきました。彼らには、まだまだやりたいことがたくさんあるようです。でも彼らの想いを満足させる方法というのは、誰にもわかりませんでした。
 もちろん、やぶちゃんにもわかりません。ただ「なんか違うなぁ」と漠然としたもやもやを感じていたのです。

 彼ら熟練木工職人と素人から少し脱皮したやぶちゃんには、大きな違いがありました。
 やぶちゃんは、無口な木工屋ではありませんでした。お酒はまったく飲めませんが、飲んだくれおやじたちと一緒にあちこちで木工品をつくって遊んでいました。子どもたちと一緒に科学遊びやものづくり遊びも随分と経験を積みました。大学の先生とも一緒に活動することが増えましたし、大学で学生たちにものづくりの話をすることもありました。そんな遊びの中で、木工品の持つ魅力を確かに感じていたのです。

 木工品の魅力を知ってもらうための何かが、きっとあるはずだ。

 やぶちゃんの疑問は、ますます大きくなってきました。
 それが何なのか、あいかわらずやぶちゃんには分かりませんでしたが、振興会の木工職人さんと共有できる想いは確かにあったようです。


 
工房イエローハウス作品 組み木、お雛様 五月人形他
(鳥取木材工芸振興会ホームページより)
 
 このままではきっと振興会は消滅するだろうと考えたやぶちゃんは、新しい振興会をつくることを考えました。振興会の継続に諦めムードが漂っていた時でしたので、リニューアルの提案にはさほど壁はありませんでした。
 新生振興会の会長も、やぶちゃんが買ってでることになりました。
 いろいろと考えたあげく、「八頭郡木材工芸振興会」を「鳥取木材工芸振興会」と改名しました。これはある意味、旧振興会の解散かもしれません。呼びかけた仲間は、旧振興会に属していた方の他に、これまで一緒に活動をしてきた人にも呼びかけました。

 これまでともっとも違うところは、大学での活動でお世話になった鳥取大学名誉教授作野友康先生に顧問をお願いしたことです。申し訳ない話なのですが、顧問料はまったくお支払いをすることができません。しかし、作野先生は快く引き受けて下さいました。
 事務所もある団体の事務所を利用させていただいていましたが、これまでずいぶんと迷惑をかけていたこともあって外に出ることにしました。後は行動するだけですが、どうやって動いていけば良いのか、その時、実はまったく見通しというものがなかったというのが事実です。

 「こんな時期にリニューアルをしても・・・ 解散のほうが・・・」という声も聞きました。確かにそうかとも思いました。でも、まだまだ何かあるような気がしてなりません。ただがむしゃらに動くだけでした。これまでやぶちゃんがやってきた「イベントに参加して、子どもたちに木工工作の楽しさを教えてやろう」という提案も、なかなか理解していただけませんでした。
 それほど彼らのこれまでの活動とやぶちゃんの発想とは、かけ離れたものだったのです。
 行政や公益団体が公募を行う助成事業にもいくつか応募をしてみました。しかし「ビジネスには助成ができません」とか「その程度の規模では・・・」といった壁にことごとく打ちのめされました。確かに、木工作業が最終的に目指すところはビジネスです。子どもたちに木工の楽しさを教えるといっても、インパクトのある意義を持たせたり、びっくりするような変わった活動ができるわけではありません。
 「でも、こんなことしかできないのだから」と自分に言い聞かせながら、あれやこれやと模索する毎日が続きました。

 
石谷家住宅展示会(2012/4/20〜5/20)
(鳥取木材工芸振興会ホームページより)
 
 まず、会員さんに理解を求めたのは、工房の中での木工作業だけではなく、多くの人にものづくりの楽しさを伝える行動でした。黙々と木工作業を続けてきた職人たちにとって、外に出て多くの人に木工を教えようということ自体、不思議な提案だったと思います。
 ましてや振興会活動の背景には、やはりビジネス振興があります。売れないものはつくらない、売れなければつくらない、熟練仕事に見合う見返りがなければ動きたくても動けない、という現実がありました。このことは、職を変えなければ生活していくことができないという現実でもありました。
 やぶちゃんも木工品の販売だけではほとんど収入もなく、あれやこれやのアルバイトと、奥さんの収入に頼っていたところもありましたので、大口をたたくことはできません。

 先が見えなくなりそうになった時、若者を振興会に引きずり込むことを考えました。
 何か変化を起こすときは、よそ者、若者、バカ者といいます。もともと振興会とは縁のなかったやぶちゃんは、よそ者です。バカ者も自覚しています。問題は若者がいないということでした。
 やぶちゃんのお付き合いの範囲は、基本的におやじとおばちゃんです。それでも時々若者とのお付き合いがあります。Hさんもその一人でした。Hさんは既に自分の工房を持っていましたが、名前だけの工房でした。

 Hさんの木工技術は確かなものです。しかし自分で外に打って出るというのはあまり考えていなかったようです。
 あるイベントで、やぶちゃんはHさんに、是非一緒にやってみようと声をかけました。
 あまり乗る気ではなかったようですが、とにかく彼を外に引っ張り出すことができました。彼は、自分の作品に3,000円〜5,000円の値をつけました。小さな木の箱です。やぶちゃんの感覚では、とても売れるものではないと思っていました。
 ところが、これがぽろぽろと売れてしまうのです。これにはやぶちゃんもびっくりしてしまいました。もちろん、当の本人もびっくりしたようでした。

 やぶちゃんの作品は、万人向きで低価格が基本です。もの珍しさで作品を買ってくれる人はいても、木工品の良さを理解して買ってくれる人はそういないだろうと考えていたのです。
 木工品を愛する人たちは確かにいました。
 本当に良い物は、ある程度の値段をつけても買っていただけるという証明でした。これには、やぶちゃんも大反省をしたのです。

  
うさぎ工房 作品
 
 Hさんの木工ネタは、「箱」です。
 彼は、小さな時から「箱」にこだわっていたとのことでした。お風呂で使う石けんの箱を集めて絵を書いたり、少し手を入れて形を変えた箱に自分の宝物をしまっておくと何故か安心するという不思議な子どもだったそうです。木工職人の仕事を選び、仕事の合間に追求しているテーマは、幼い頃の想いの延長だったのです。
 やぶちゃんに出会うまでは、彼は、自分の木工テーマである「箱」を世に紹介することまでは考えていませんでした。今彼は、黙々と自分のテーマを追求しています。

 もう一人の若者の例をご紹介します。
 彼の腕も、ピカイチです。「こんなものを作ってください」とお願いすると、まず間違いなくしっかりとした作品を仕上げてくれます。「じゃあ、自分のオリジナル作品を見せてください」とお願いすると、「それは無い」という返事が返ってきます。
 Hさんと同じように木工職人の道を選んだのですから、必ず何か自分のテーマを持っているはずだと思っています。しかし彼自身、まだそれを見出していないようです。

 一昔前は、木工職人さんの仕事は作品をつくることだけで、営業はまったく別でした。
 木工職人さんは、「自分に与えられたテーマ」の仕事をきちんと仕上げれば、後は販売会社と提携したり、支援団体に販売を頼ったり、仲買さんに販売していただいたりと、なんらかの販売ルートがあったのです。
 しかし、今はそのようなルートはありません。木工職人は、仕事をしながら同時に販売を考えなければなりません。当然のことながら営業は不得手です。その不得手を補うのが、自分のオリジナリティです。オリジナリティのある作品は、見ていただくだけで説明がなくても理解していただくことができます。
 そのオリジナリティを持って、外に出て、多くの人に見ていただくというのが、今の木工職人の仕事ではないかと考えました。

 
上地木工倶楽部作品 スツール

(鳥取木材工芸振興会ホームページより)
 
 木工品の魅力を知る人たちは、確かにいるのです。
 新しい振興会の会長になったやぶちゃんは、木工職人だけでなく、手芸品などのクラフトに取り組んでいる人にも声をかけました。彼らと話をしながら、オリジナルテーマを見つけていただくこと、自分の作品を目一杯自慢していただくことを願いました。
 「外に出て多くの人に見ていただく」ために、ものづくり教室や作品展などへの参加を呼びかけました。そんな地味な活動があって、ぽろぽろと作品が売れるのだということを仲間に知ってほしいと思いました。

 このやぶちゃんの願いが、彼ら木工職人の想いをきちんと実現する土壌だとは思っていません。今、生活のために木工職人に専念することは難しいと考えています。皆、技術は確かに持っているのですが、その作品を売るとなると、更にもう一歩の踏みだしが必要であることを身にしみて体験しました。

 振興会の会長として、彼らの想いを実現できる土壌探しを・・・
 勉強嫌いで、遊びが大好きな木工屋やぶちゃんの悩みは、これからも続きそうです。



鳥取木材工芸振興会顧問 作野友康鳥取大学名誉教授 の講義を聞くやぶちゃん
鳥取環境大学にて

おやじのつぶやき 2012.5

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