やぶちゃんの木工談義

ある日、奥さんから壊れたドアの把手(とって)の修理をたのまれた。

わざわざホームセンターへ買いに行くのもめんどくさい。
庭に転がっていた梨の木の切れ端で、応急修理をした。
すると・・・おや、いいじゃないか! 

 やぶちゃんこと薮田道男氏は、鳥取県鳥取市福部町に住む57才のおやじです。
 これまで、バイク、ヨット、スキューバーダイビング、乗馬など様々な趣味に挑戦をしてきたのですが、ある程度習熟すると飽きてしまうという問題おやじでした。
 でも、この冷めやすい男にとって、木工だけはそれまでの趣味とは少し異なっていたようです。

 やぶちゃんが木工に興味を持ち始めたのは15年ほど前。ログハウスとの出会いからでした。
 素人でもログハウスを建てることができるという記事が載っている雑誌を見て、いつかは自分の建てたログハウスに住みたいと考えました。もともと手は器用でしたし、いろいろな趣味を楽しむ時間はたっぷり持っていました。しかし、素人がそう簡単にログハウスを建てることなんてできるはずもありません。ログハウスへの熱は、単なる一過性の風邪としか考えていませんでした。
 ところが鳥取でもログハウスを建てるというグループがいたから、風邪は一気に悪化しました。さっそくグループに加わり、3〜4年を費やしてログハウス建築技術を手に入れたのでした。

 ここまではまだ趣味の延長で、「木工」というウィルスにうなされるほどではありませんでした。しかし木工ウィルスはガン細胞へ変化したかのごとく、やぶちゃんの心を占領して行くことになりました。というのも、やぶちゃんの梨の木への想いは木工の楽しさだけに止まらなかったのです。


なしの木工房 ログハウス

 鳥取の果物といえば梨。薮田家の親戚も、少ないながら梨農園を持っていました。趣味でいそがしく走り回っているやぶちゃんにとって、梨づくりのお手伝いはめんどくさい義務的作業でした。一生懸命に働く親戚のおばちゃんの姿をみて、仕方なくお手伝いに加わっただけの話でした。
 お手伝いをしながら、ちゃっかりと梨を育てる技術も教えてもらいました。ひととおり教わるのに5年間くらいかかったでしょうか。ようやく梨農家の一歩手前といえるくらいの技術を得てはじめた梨の栽培は、たったの5本だけでした。おばちゃんの手伝いの延長としか考えていなかったし、そもそも梨栽培はたいへんな重労働です。趣味に忙しい問題おやじのやぶちゃんには、5本だけで十分でした。

 そんな時、「梨の木」に出会ったのです。
 壊れたドアの把手(とって)を、庭に転がっていた梨の木の切れ端で応急修理したのがきっかけでした。ログハウスの木工とはまったく違う「木」の世界の魅力に気付いたのです。この梨の木の魅力が何なのか、もう少し追求してみたいと考えました。
 この時のやぶちゃんの本業は「かまぼこやさん」です。かまぼこやてんぷらをつくって、あちこちのお店に卸していました。本業をおろそかにする訳にはいきませんが、多少なら許されるであろうと工場の敷地に木工機械を置き、休みの日を狙ってこそこそと作品づくりを始めたのです。
 しかし本業もあります。工場で働く皆さんに、サボって趣味に没頭していると思われるのも辛いところがあります。では、・・・と考えてつくったのが「かまぼこやさんの木工部」でした。これで木工は、完全に本業の一部になりました。

 梨の木の魅力は、素材そのものにありました。木の肌もそうですし、木の形や大きさもそうです。それを活かすテーマとして考えたのが「ペンたて」、「くつべら」、「アクセサリー」などでした。
 かまぼこやてんぷらを卸す際に、ついでにこれら商品も売ってくれないかと頼んでみました。当然まったく違った分野の商品であるし、そうは簡単に受け入れられるとは思っていませんでした。ところが、案外簡単に梨の木のおもしろさが受け入れられてしまったからおもしろい。卸し先の店内に商品を並べていただくことができ、しかも少しずつですが売れていたのです。
 梨の木の魅力は、決してやぶちゃんの思い過ごしではないことがわかりました。
 「へ〜ぇ」と自分でもびっくりだったのです。


梨の木でつくったペンたて

 かつて鳥取県の二十世紀梨は、日本一を誇っていました。
 明治の末期に千葉県から鳥取県へ持ち込まれた二十世紀梨は水気がたっぷりで柔らかく、高尚な甘さと舌触りは、それまで栽培されていた梨より数倍高い値段で売れたといいます。黒斑病の克服、ヒョウ害、干ばつ、台風といった災害との戦いを乗り切りながら、鳥取県はだれもが認める二十世紀梨の大産地となりました。

 戦後の農村には人手が余っていたとのこと。そこへ当時は「梨一箱で大工が二人も雇える」ほどの高値がついたものですから、鳥取県の農家は競って山を切り開き、梨づくりに取り組んだとのことでした。(参考資料 「産地激動の30年史」鳥取県果実農業協同組合 1987)
 しかし、高度経済成長が始まって生活が豊かになると、消費者の嗜好も珍しいくだものを求めるようになりました。そして昭和50年代に入ると品種転換の波が訪れ、二十世紀梨も後退期に入ったのです。(参考資料 「梨の来た道」鳥取県 2001)

 そして今、梨農家の後継者不足と高齢化の波は、かつて隆盛を誇った梨農園を確実に廃園へと追い込んでいます。やぶちゃんのおばちゃんも、この梨の歴史と一緒に生きた一人でした。おばちゃんの教えをいただきながらもたった5本の梨の木しかつくることができなかったやぶちゃんではありますが、二十世紀梨の歴史がおばちゃんの生きざまの様に思え、これまでの人生の中で置き忘れてしまった何かでもあったのです。


昔の梨の箱 鳥取二十世紀梨記念館にて撮影

 
ふとしたきっかけで、廃園の後始末を頼まれました。「老夫婦だけになってしまい梨づくりをあきらめたので、梨の木を切り倒してほしい」との依頼でした。梨園の多くは、山を切り開いてつくられています。廃園となって人が山に入らなくなると、荒れてしまって使いものにならない山になるどころか、災害の危険性も出てきます。

 しかし梨の木を支える番線(50cmくらいの間隔でマス状に張り巡らした針金)を取り除く作業はたいへん危険ですし、ましてや梨の古木を切り取るのは若者でも辛い作業です。木工の材料確保もあり、やぶちゃんはこの老夫婦の依頼を引き受けました。3日程で終わった作業ではありましたが、梨の木を切り倒す光景をみていた老夫婦には感慨深いものがあったでしょう。
 後日やぶちゃんは、切り倒した梨の木を使った木工品をプレゼントしました。老夫婦は、「へ〜ぇ いいねぇ」と作品を手でなでながら、しばらくの間見つめていたとのことです。

 梨の魅力は、おいしい果実にあります。梨の木の魅力は、おいしい果実をつける木がもつ木肌や形の魅力です。そしてその実や木には、梨栽培を広げるための先人の技術と苦労がしのばれます。時の流れの中で、日本一を誇っていた二十世紀梨もついにトップの座から転落しました。過疎と高齢化により梨農家は確実に少なくなっていきます。でもこの流れを止めることも、逆らうこともできません。時の流れに逆らうことはできないにしても、梨の魅力を多くの人に知っていただくことはできるかもしれません。

 「梨の魅力を伝えるためには、自分に何ができるだろう。」
 やぶちゃんが木工にのめり込んだもう一つの理由でした。
 

ろくろ作業

 結局、7年前に勤めていた会社を早期退職し、福部町に「なしの木工房」を開きました。最初は手探りでつくりはじめた木工小物も、序々に数が増えてきました。鳥取大学で学生たちに木工を教える機会をいただくこともあります。勉強ぎらいで遊ぶことだけしか能がなかった男に大学から講師を依頼された時、やぶちゃんのおかあさんは「おや、まぁ・・」と、これまで見たこともなかった笑顔を返してくれたそうです。やぶちゃんは、「唯一の親孝行だった」と振り返ります。

 梨の木の魅力に出会って15年が経ちました。
 調子に乗って子どもたちに「ものづくり」の楽しさも教える木工教室も始め、これがライフワークとなり、現在のなしの木工房の活動の柱となりました。木工仲間たちと鳥取の木竹工芸のすばらしさを広めたいと、鳥取木材工芸振興会の会長も買ってでました。木工芸を捨てようとしていたおやじたちも、少しずつですが手を動かし始めたのです。
 そして今、もう一度「自分の梨」を見つめなければならない時期にいるような気がしているやぶちゃんです。
 

なしの木工房
おやじのつぶやき 2011.12

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