まごの手

 “ファッションセンス”というのは、身につけなければならない能力ランキングとしては、最下位あたりで良いと思っていました。もちろん若い時分はトップでありたいと、雑誌を読みあさったり洋服屋に入り浸って店員さんの講義を受けたりしたものです。それなりに努力をしてみたものの、どう考えても見映えのしない自分のファッションセンスに嫌気がさし、「センスというものは生まれつき備わっている能力であり、私には生まれつき無かったのか、どこかに置き忘れてしまったに違いない」と納得することとにしました。

 備わらなかったセンスは、ファッションだけではありません。囲碁も一時は熱中したものの永遠の6級です。パチンコ、麻雀、競馬もしかり。勝負ごとやギャンブルのセンスも私には無縁なものと理解させられました。
 ファッションセンスも勝負ごとのセンスも、身につけなければならない能力ランキングとしては上位の方が良いに決まっています。小汚くて弱々しいおやじと、すれ違いざまに「あれ?」とか「ほう」と思わせる小綺麗でしゃきんとしたおじさまと比べれば・・・です。

 何故こんなにもセンスに疎かったのだろうかと考えてみますに、たぶん私は思いこみが強い性格だったのでしょう。いったん“これが良い”とか“こんなもんだ”と思ってしまうと、それが壁になってしまい、そこから先の学習というものをまったくしようとしません。思いこみが次の学習を妨げてしまうのです。最近になってようやくこのことに気が付いたのですが、もう既にセンスなるものを研ぎ澄ます歳では無くなりました。惜しいことをしたものだと後悔しきりです。


 やぶちゃんの「まごの手」の話です。
 まごの手の先っぽは、普通「手」の形です。まごの手ですから、「手」であって当然。でもこれは、見事な思いこみでした。
 やぶちゃんのまごの手は、先っぽが「カギ」です。
 さぞかしやぶちゃんの想いが込められているのだろうと尋ねてみると、「先っぽを手の形にすると材料がたくさん必要となり、無駄な削りくずもいっぱい出てくるから」ということでした。更に、手の形にするには湾曲が必要で、これが結構難しいとのことです。

 「あら、そうなの」
 非常に理解できる説明ではありましたが、なんだか拍子抜け。しかし、その結果がすばらしかったのです。
 やぶちゃんの「まごの手」は、「まごの手」でなくていいのです。なにしろ「まごの手」だと言わなければ、何とでも言える代物だからです。当然、なしの木の魅力はたっぷりと活かされていますし、そのスリムなスタイルはインテリアグッズとして十分耐えることができます。

 「これは何ですか?」
 「はい、インテリアグッズです。」
 「ほう、何に使うのですか?」
 「まごの手です。」
 「ん?・・・・」


 「まご」の由来は、中国の伝説の仙女「麻姑(まこ)」だそうです。「爪が鳥のように長く、麻故の爪で痒いところを掻いてもらう」というところから「麻姑の手」と命名され、日本に伝わって「孫の手」になったらしいです。
 まごの手は、木工職人さんの作品テーマとしてはおなじみですし、爪のような形をした高級品も売られています。
 やぶちゃんのまごの手は、安価な高級品といって良いと思います。
 例えば、「魔子(まご)の手」というのはいかがでしょうか。
 魔界の国からやってきたミニスカートのちょっとセクシーな魔女っ子メグちゃんが、痒いところを掻いてくれる魔法の棒「魔女っ子の手」とか・・・。
 くだらないおやじギャグなのですが、「孫の手」とかけ離れたスリムなデザインと木のぬくもりを伝えるやぶちゃんの棒は、「孫」でなくていいと思います。鳥取環境大学でデザインを教えているE先生からもお褒めの言葉をいただいていますので、こちらは私の思い込みではなさそうです。

 病院に入院されている患者さんが痒い足に手が届かなくて困っているからと、1mくらいの細長いカギ頭の孫の手をつくってあげたら、ずいぶんと重宝されたとのことでした。思い込みからいったん離れると、いろいろなバリエーションを楽しむことができる、すなわちセンスが磨かれるということなのでしょうね。
 私にとっても安上がりのインテリアグッズであり、おやじ乾燥肌を癒してくれるありがたい「魔子の手」なのです。


我が家の飾り(センスは問わないでください)
おやじのつぶやき 2012.1

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