先人たちと砂丘
イラスト ののはら りこ

 雄大な砂丘を眺めていると、先人たちの想像を絶する苦労がしのばれる。

 湖山砂丘では明治時代末期、養蚕業が盛んになり、砂地に桑畑が広がった。真夏の炎天下で、浜井戸から水をくみ上げ、絶え間なく畑に散水する過酷な農作業は「嫁殺し」と呼ばれていた。

 1932年7月、マグロの大群が賀露(鳥取市)の沖合に押し寄せた。住民は、数百匹ものマグロを地引き網で一網打尽にした。同市の写真家・吉田窓月氏は、この様子を映像に残している。延々と続く砂丘海岸。沖合には旧海軍の軍艦が浮かぶ。菅笠(すげかさ)と着物姿の女性たちが引く地引き網、そして簡素な漁具を片手に海に飛び込み、マグロと格闘する男たち。砂丘海岸で繰り広げられる厳しい労働の映像ではあるが、そこには自然と共に生きるたくましい人々の姿があった。

 1956年2月の「賀露新聞」には、「砂に埋まる港口(こうこう) 不景気に苦しむ人々」という記事が載っている。千代川からの流砂と押し寄せる激しい波によって港口に砂が堆積し、漁船が入港できない日々が続いた。地元の氷屋や油屋は在庫が減らず、食料品代や散髪代、風呂代なども外地へ流れてしまい、町中が不景気にあえいでいるという内容だ。

 大規模なかんがい事業や港湾整備により砂丘との戦いも終わったが、同時に湖山砂丘の姿もすっかり変わってしまった。飛砂や海の荒波よりも世界経済の荒波の方が怖くなったこの時代に、先人たちはきっと苦笑しているに違いない。
 
日本海新聞 ECO STYLE Tottori 2010.8.28掲載

<目次へ>