宗教心


私は、未だ宗教心に乏しい人間である。かといって宗教を否定するつもりはまったくなく、「神仏は存在するか」と尋ねられたら、直ぐに「存在する」と答えるだろう。もちろん確かな信念を持っているわけではない。なにしろ神仏に頼るのは、苦しい時と宝くじを買った時くらいのものだから。

ずいぶん長くお会いしていなかった従兄弟が、先日亡くなった。久しぶりの再会が葬儀だったことに、今更ながら横着モノの自分に呆れてしまう。読経の中、わずかな記憶を頼りに故人を偲びながら、しばらく宗教心に浸った。

和尚さんの法話は、いつも心を和ませてくれる。この世でお別れしても、あの世で再び出会うことができる「倶会一処(くえいっしょ)」という教えもその一つ。ただ納得はするものの、心から信じるほどになるまでは、まだまだ修行が足りないようだ。

考えてみれば、何年も会っていない友人やお世話になった方々がどれほどたくさんいることだろう。もう連絡をとることさえできない人もいる。できればあの世ではなく、この世で酒を酌み交わしたい。宗教心を育てることは今後の宿題とし、まずは日々の人との出会いの大切さを心にとめるべきであることを改めて勉強したのである。


 日本海新聞 2017.2.24掲載


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