野村おやじの思い出

イラスト ののはら りこ

 平成20年2月23日(土)広島県廿日市市で「第5回全国おやじサミットin広島」が開催された。テーマは「いじめバスターズおやじの出番 〜100万人の連携〜」。

 広島県廿日市市でのサミット開催は、私の人生の師匠でもある野村洋一おやじの夢であった。野村おやじは、本当は前年の第4回サミットに名乗りをあげるつもりだったらしいが、既に鳥取県のおやじどもがでしゃばっていたため、1年先延ばしとなったのである。
 鳥取サミットが終わった後、鳥取のおやじどもは広島サミットを全面的に応援することを誓った。しかし鳥取と広島はやはり遠く、結局ろくな応援もせずにちゃっかりとお客さんとなって広島サミットを楽しんだのである。

 そして、この1年の先延ばしが、後々悔やまれる結果となってしまった。

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 広島県廿日市市野坂中学校区おやじの会の野村洋一会長との出会いは、私のおやじ人生の中でも特別の思い出がある。彼はもともと仕事一筋人間であったのだが、彼の長男が集団暴行を受けたことを契機に、荒れている子どもたちに積極的に関わりはじめた。
 
 野村おやじが本格的に子どもたちと向き合い始めたのは、平成9年にガンに冒されていることを知った時からだ。末期ガンで余命は3〜5ヶ月。もはや治療方法もなく、「最期を窮屈な病院ではなく、自宅で迎えさせてあげよう。」との医師の配慮で退院した後の行動である。
 病気が良くなって退院したと思っていた彼は、「せっかく命を長らえることができたのだから、残りの人生は青少年に関わることを人生の目的として生きていこう。」と決意した。人生の目的を得てからは、一時は本当にガン細胞も消えて元気になったという。しかしやはり再発し、入退院の繰り返しが続いた。そのような中で学校での指導補助、暴走族からの脱会の手助け、夜の町を徘徊する子どもたちとの交流などに力を注ぎ続けたのである。
 
 野村おやじの想いの一つが、子どもたちが集まることができる場所を創ることであった。その想いは、スケボーや自転車遊びが自由にできる「コンクリートパーク」という具体的な計画となり、平成18年の春に完成を見ることが出来た。
 そしてこの時のもう一つの想いが、広島県廿日市市で「第5回全国おやじサミットin広島」を開催することであった。大会準備がはじまる頃には、既に体を動かすこともままならない状態になっていたが、ぜひ成功させたいという彼の眼の輝きは消えていなかった。

 野村おやじの信念は、「子どもたちの声を聴かなければ、絶対に子どもたちのことを理解することはできない」というものであった。我々おやじはというと、いつもおやじ勝手な想いのみが先行する活動ばかりであり、野村おやじのような確固たる信念のひとかけらも持ち合わせてはいない。
 しかし、おやじたちと一緒に遊ぶ子どもたちの姿をよくよく見ると、野村おやじのいうとおり、子どもたちに必要な環境と現実との間にはかなりの齟齬があるのではないかと理解するのである。

 子どもに外で遊びなさいといっても、車を気にしないで遊ぶ場所は限られている。小学校の校庭でさえ、ケガをしたときの責任の所在やら不審者の影の対策を論じなければならない。
 おやじが子どもの頃、おやじたちはいつも外で遊んでいた。街には、雑貨屋さん、八百屋さん、魚屋さん、町工場など多くの大人が働く場所があった。街から出ても、百姓さんの姿は必ずあった。特に意識をするわけでもなく、子どもたちは大人の目に守られながら遊んでいたのである。家に閉じこもりがちな子どもたちが多いというが、自由に外で遊ぶことが嫌いな子どもが、どれほどいるのだろうか。

 経済の成長に伴って若者が街の外で働くようになると、街の中の大人の姿が少なくなった。
 更に、郊外に大規模な店舗が並び出すと、街中の店や工場は姿を消し、子どもたちを見守る目も無くなってしまった。近年の経済活動が求める豊かな生活というのは、大人が描く豊かな生活を指しているのであり、どうやらその中に子どもを置くことはあまり考えていないように思える。じゃあ遊園地や児童福祉施設はというと、確かに楽しいし子どもたちの歓声も聞くことができる。
 しかし、一歩外に出れば元に返るだけ。子どもたちが身近な生活圏の中で遊ぶということとは、所詮意味が違うのである。

 ありがたいことに、経済の成長は便利なモノをどんどん生み出してくれた。おやじたちも、ありがたくその恩恵を享受した。そのうちモノがつまらなくなったり、便利じゃないと思い始めるともっと便利なモノを求めるようになった。企業は一生懸命便利なモノを考え、おもしろくなくてもおもしろいと、便利じゃなくても便利だとしてモノを売るようになった。気がつけば、おやじたちは、自分でモノを造ることや生活の中で工夫することを辞めてしまった。子どもたちとて同じである。ほしいモノを手に入れるための思考のスタートは、「どこで売っているのか」になってしまった。

 豊かな心を持つためには、発想力や創造力を鍛えなければならない。
 発想力や創造力がないところに、豊かな心や人を思いやる心が育つわけがないとおやじは信じている。発想力や創造力は、教えられて身につくものではない。自分で考えて、体で覚えながら会得するものだ。おもいっきり遊び、楽しみながらでなければ、体に染み込むはずがないとも信じている。

 子どもたちは、自分の知りたいことや楽しいことに出会うと直ぐに目の色がかわる。
 理科や算数がきらいで、見るのも嫌だという子は、きっと机の上の理科や算数の勉強から目を離すことができなのだろう。彼らは、教室の外にはどこにでも理科や算数があるのだということを知らなければならない。そして楽しいもの、おもしろいものだと知る作業が必要である。よく地域のイベントなどで体験学習なるものも行われるが、知識や技術を子どもに教える、そして体験させる、というだけであれば学校教育の場と変わらない。子どもたちは、机の上の理科や数学の勉強の延長にすぎないと感じてしまうだけだろう。

 普段の生活の中で、発想力や創造力を鍛える場というのは、モノから離れ、大人と一緒に心から遊び楽しむことができる環境のことをいうのだと思う。環境をつくるには、場所と時間を考えなければならない。場所は、普段の生活の中に見つけることが一番であるし、時間は、大人と一緒のゆっくりとした流れがいい。この大切な環境を、大人たちは経済の成長とともに少しずつ削っていった。また、このモノはこれまで数々の環境問題を引き起こし、今世紀最大の環境問題ともいえる地球温暖化の原因ともなったことを忘れてはならない。
 残念だが、そのツケを支払うのも子どもたちである。

 削ってしまった環境は、そう簡単には元に戻らない。
 仕方がないから、もう一度子どもたちの環境づくりを試みることとなる。しかしそれは、環境の修復作業ではない。昔の姿を修復しようとしても今の経済情勢や生活様式に慣れきった大人に、そう簡単に受け入れられるものではないだろうし、逆に経済活動を停滞させるといった反論さえ出てきそうだ。仕方なく、環境の創造(新しいものをつくりだす)作業に挑戦することになる。現在の経済情勢や生活様式を大きく否定することなく、子どもたちの発想力や創造力を鍛える場所を新たに創るという作業である。
 これは、おやじたちの大きな課題となった。

 環境を創造することを忘れたり、できないとあきらめたりするとついつい口で繕ってしまう。
 よく大人の口から出る言葉としては、「勉強をさせなければならない」、「しつけをしなければならない」、「いじめや不登校をしないように教えなければならない」と。更には、「子どもをわがままにすると自己中心的になる」とか、「止まるところを知らなくなる」とかいう口繕いもあるが、これは権利とか人権というものが、人間としての価値や尊厳を持って生きていく上で不可欠なものであり、自分の権利を自覚することが他人の権利を尊重することにも繋がるという大切な視点が抜けてしまった話である。子どもが成長するための大切な過程である「わがまま」を、大人の都合で勝手に整理し、子どもの人権さえも侵害してしまう未熟な大人の仕業に他ならない。

 子どもの行動を抑制する際の理由として、よく「未熟」という言葉を使う。
 未熟とは「完成していない」という意味だ。大人たちは、完成に向かって育っていく子どもたちに対し、彼らに秘められている「可能性」をいかに育てていくのかということを考えなければならない。成長を続ける子どもたちの発想や行動は、大人のそれとは全く異なっているはずであるから、大人の視線では彼らから可能性を引きずり出すことは到底できない。子どもたちは、皆「自分の意志」を持っている。「未熟」だと決めつけて「意思」を押さえ、子どもたちが育つ環境を考えてやるというのは大きな勘違いだと思う。

 例えば、危険な行動が自分にとってなぜ危険なのか、そのことが他人にどう危害を与えるのかをわかりやすく教えてやれば、子どもは直ぐに覚えてしまう。ただ、子どもはどうしても悪いこと(人の心や体を傷つけること)をしてしまうから、この時だけは怒らなくてはならない。大人の単純な感情で怒るのではなく、自分がなぜ怒られたのかとわかるように怒らなければならない。「何故人を殴るの。人を殴ったら駄目じゃないか。」では、子どもはまったく理解できない。例えば「あなたが私を殴ったら、私は痛くて悲しくなるよ。みんなもそうだよ。あなたも殴られたらきっとそうだよ。」とか。
 友達と一緒に遊ぶ楽しさがわかれば友達を大切にする、というのもまったく同じ話である。

 このような話は子育て講座などでもよく出てくるし、普段は、皆あたりまえだと思っているかもしれないが、突然子どもを怒る場面に遭遇した時にはすっかり忘れているのもおやじは経験済みである。
 子どもの可能性を引きずり出そうとするのであれば、大人たちは真っ白な気持ちで彼らの声に耳を傾けなければならない。そして、子どもたちのSOSをしっかり受け止めなければならない。理科や数学が嫌いだと逃げる子、直ぐに暴力をふるいたがる子、すべて彼らが発するSOSである。

 「しかし、最近の親御さんは、子どもたちの前で平気で他人の悪口をいったり、怒ったりしているなぁ。学校や、役所や、政治にでも、同じ話なんだけどなぁ。テレビでも、めちゃくちゃ評論しているけれど、あれってどうなのかなぁ。」

 おやじたちは、子どもの姿をみることは得意かもしれないが、心を見ることは下手なようだ。いじめや不登校の問題も、地球温暖化をはじめとする環境問題も、地域の疲弊も、子どもたちにはまったく責任はない。これからたくましく生きていこうとする子どもたちの心を見て見ぬふりをし、大人の視点だけで創ってしまった社会の姿がここにある、というのは言い過ぎなのだろうか。
 おやじたちは、大人の都合で子どもたちの環境を創っては駄目だと叫びたい。子どもたちと一緒に、地域とともに、胸をはって堂々と想像力、発想力を育むことができる環境をつくるのだと。

 平成19年7月1日、全国おやじサミットin広島を見ることもできず、野村おやじはついに逝ってしまった。亡くなる少し前に、私たちは広島大会を鳥取から応援すると約束した。遠く離れた鳥取でどのような応援ができるのかいろいろと考えたのであるが、到底まともなお手伝いができるはずもなかった。

 あるおやじが、いじめ撲滅キャンペーンをやろうと言い出した。
 すかさず、賀露おやじの会F理事長は「いじめバスターズを結成する」と声をあげた。
 ところが、野村おやじはこのいい加減な発想に反応し、すかさず広島大会のテーマを「いじめバスターズおやじの出番 〜100万人の連携〜」と決めてしまったのである。
 キャンペーンとなれば、講演会とかチラシ・ステッカーの配布などを一生懸命考えるのであるが、お金は無いし、基本的に横着なおやじどもがどこまでできるのか大疑問であった。
 まずは呼びかけから始めようということになったが、ホームページやメーリングリストでの呼びかけで精一杯であった。

 しかし、京都のYおやじが吠える。
 〜耳を澄ませ おやじたち! 心の嘆きを聞こうじゃないか!〜
 パソコンだめ男さん、はたやんさん、ヒのカミ、スパイディさん、ウッシーさん、ショージさん・・・と各地で賛同してくれるおやじがいた。
 最終的に何人のおやじが「いじめバスターズ」に変身したのか分からないが、このいい加減なおやじたちの発想や手法に、野村おやじも天国で笑っていることであろう。

 平成20年2月23日(土)、「第5回全国おやじサミットin広島」は大成功に終わった。この大会を成功に導いた多くのおやじ仲間に、心より感謝を申し上げます。
 そして、天国でつぶやいている野村おやじのご冥福をお祈りいたします。

つぶやいた日 2007.4.25
一部修正加筆 2010.4.30


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